明治19年当時、明治政府は西欧諸国との不平等条約改正と国会の開設を訴え、内閣に臨時建設局(初代総裁:外務大臣 井上馨が兼任)を置き、エンデとベックマンを招脾して、官庁集中計画の立案とともに、議事堂、裁判所、司法省の設計を委嘱しました。
西 暦 | 沿 革 | |
1888年 | 明治21年10月 | 司法省庁舎着工 |
1895年 | 明治28年12月 | 司法省庁舎完成(写真) |
1923年 | 大正12年 9月 | 関東材震災、れんが壁が鉄材で補強されていたため、ほとんど被害なし。 |
1945年 | 昭和20年 3月 | 東京大空襲、れんが壁を残し、全焼(写真) |
1948年 | 昭和23年11月 | 戦後復興院営繕部により、戦災復旧。外観・インテリアとも大きく変化、物資の乏しい中 様々な工夫がなされ、復旧後約50年間法務省本館として利用(写真) |
1976年 | 昭和51年 | 建築審査会で、「(霞ヶ関地区の)既存施設の存廃は、その機能的価値だけでなく文化的 価値も含めて慎重な検討を行い、存置するべき施設は修復及び利用の方法を勘案し、 周辺計画との調和をはかる」との答申。 |
1982年 | 昭和57年 | 法務省本館現状調査で、原則的に赤れんがの構造体を使用し、現在地で創建当時の外観を 再現して再利用する保存復原の方向で進めるよう提言を受ける。 |
1987年 | 昭和62年 | 法務省本館保存改修予備調査で、具体的な保存活用の技術的な基本方針をとりまとめる。 |
昭和62年 7月 | 中央合同庁舎第6号館 A棟着工 | |
1990年 | 平成 2年 6月 | 中央合同庁舎第6号館 A棟完成 |
1991年 | 平成 3年 1月 | 赤れんが棟保存改修工事着工 |
1994年 | 平成 6年 8月 | 赤れんが棟保存改修工事慨成(写真) |
平成 6年12月 | 重要文化財の指定 | |
1995年 | 平成 7年 5月 | 赤れんが棟内部の復原室完成 |