【平成26年7月1日】 高木副大臣がレオ・メラメド シカゴ・マーカンタイル取引所(CME)グループ名誉会長の歓迎レセプションに出席

【平成26年7月1日】 高木副大臣がレオ・メラメド シカゴ・マーカンタイル取引所(CME)グループ名誉会長の歓迎レセプションに出席

 7月1日、午後7時より CMEグループ主催による、レオ・メラメド名誉会長の来日記念レセプションが開催され、木原外務政務官および高木副大臣から歓迎の挨拶、山縣港湾局長が乾杯の発声を行いました。

 レオ・メラメド氏は、日本の外交官杉原千畝氏による「命のビザ」の発給により命が救われ、1940年に、ロシアのウラジオストックから敦賀港へ上陸し、敦賀港を取り巻く関係者から温かいおもてなしを受け、その後、横浜港から米国へ渡りシカゴにおいて「金融先物市場の父」として活躍されました。

 今回の来日は、もう一度日本を訪れて日本人に感謝の念を伝えるとともに、安倍総理への表敬訪問、東京での財界人等の要人との面談、敦賀港の訪問等が目的とされています。

 まず、レオ・メラメド氏は、高木副大臣の同席のもと、安倍総理へ表敬訪問をされました。

 次に、レセプションでは、木原外務政務官から杉原千畝氏の功績を紹介を含めた挨拶の後、福井県敦賀市出身である高木副大臣からは、これまで伝わる敦賀市民のおもてなしぶりを紹介し、「レオ・メラメド氏が上陸した敦賀港において、地元の先輩方が温かいおもてなしされたことを誇りに思います。また、敦賀港に再訪問されるとのこと、強い絆を感じます。またこの来日の機会が、日本への新たな投資に繋がることを期待しています。」との歓迎の挨拶がありました。

 これをうけて、レオ・メラメド氏からは、「杉原氏の行いは、一人の人間が世界を変えられる証です。日本にたどり着いて、母からは、『あなたの手を離すことができるのは二年ぶり。』と聞いたことがあります。敦賀市民の温かい歓迎に感激し、当時のことはいつまでも忘れません。」など、これまでの半生を振り返り温かいお話がありました。

 その後、山縣港湾局長から、敦賀港の果たしている役割を述べるとともに、「日本の港湾が太平洋における中心として国際貿易を担っていき、港を通じた交流の輪が世界平和に貢献することを祈念します。」との乾杯の挨拶を行いました。

 歓迎レセプションは、レオ・メラメド氏を中心に関係者が多数集まり、終始和やかな雰囲気の中で行われました。









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