本地域は、長崎県本土の北部から佐賀県の西部にまたがる地域で、日本本土の最西端に位置し、それぞれの県庁所在地からも遠隔地にある。北松浦半島本土と平戸島、生月島及び福島などの架橋離島から構成されており、面積は775.25㎢で、うち、長崎県内の地域は長崎県の12.6%、佐賀県内の地域(伊万里市)は佐賀県の10.5%を占めている。
地勢は、国見山(標高777m)を最高に、多くの山岳、丘陵が起伏して海岸線まで迫り、平坦地の少ない複雑な地形を形成している。
地質的には、第三紀層が広く分布し、玄武岩などの火山岩類が上層を履っているため地すべり地帯が多く、また、旧北松炭田や旧佐世保炭田の炭鉱跡地の各地にはぼた山も散在している。一方、海岸線は変化に富み、その景観の美しさから西海国立公園や玄海国定公園、北松県立公園などに指定されている。中でも半島西海岸の北九十九島は、全国でも屈指のリアス式海岸を形成している。
気候は、対馬暖流の影響を受け、一部内陸の山間部を除き、温暖で寒暖差の少ない海洋性気候で、年間の降水量は2,100mm前後である。
本地域は、玄界灘を隔てて、朝鮮半島や中国大陸に近く、古くから大陸との交易が行われ、遣隋使や遣唐使の寄港地としても知られている。鎌倉時代以降は、松浦氏の領地となり、松浦水軍の本拠地として海上交通により一体的に結ばれてきた。また、今から700年ほど前、北部九州一帯は蒙古襲来の戦場となり、その際海底に沈んだ数々の遺物は鷹島の南岸を中心に元寇関係の海底遺跡として広く知られている。この間、平戸市は、16世紀中頃から東西文化融合の拠点となり、日本最古の南蛮貿易港として、一世紀にわたって栄えた。また、伊万里市は、肥前陶磁器の積出港として栄え、伊万里湾文化圏の中心として発展してきた歴史を有している。これらの豊かな歴史文化遺産は、自然景観とともに貴重な観光資源となっている。
本地域を構成する市町村は、平成17年から平成22年までに行われた市町村合併により、4市9町から佐世保市(浅子地区、旧吉井町、旧世知原町、旧小佐々町、旧江迎町、旧鹿町町の区域のみ)、平戸市(旧平戸市、旧生月町、旧田平町の区域のみ)、松浦市(旧松浦市、旧福島町の区域のみ)、佐々町、佐賀県伊万里市の4市1町となっている(北松浦地域半島振興計画抜粋)。