最終更新日:2010年4月13日
神戸フィルムオフィス顧問
主な経歴
1971年4月
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兵庫県西宮北高等学校入学 |
1973年9月
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カリフォルニア大学ロサンゼルス校(U.C.L.A)入学 |
1979年3月
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国際基督教大学卒業後エンターテイメントの分野で制作、コーディネート、司会、DJ、通訳、翻訳等を手がける。 |
2000年9月
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神戸フィルムオフィス代表就任 |
2001年11月
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国際フィルムコミッショナーズ協会(AFCI)理事就任 |
2003年12月
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(観光カリスマに選任される) |
2006年8月
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ひょうごロケ支援Net 会長就任 |
2009年4月
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JFC(ジャパン・フィルムコミッション)副理事長就任 |
2009年12月
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VISIT! JAPAN大使に選任される |
カリスマ名称
「映像による地域振興・観光隆盛のカリスマ」
選定理由
欧米、アジアなどのフィルムコミッショナーやエンターテイメント産業への自身の幅広いネットワークを活かしながら国内外のロケを積極的に誘致し、併せて映像制作の経験の豊かさを活かしたフィルムコミッション活動を推進し、神戸の街の「映像による」観光振興に尽力している。
具体的な取り組みの内容
神戸フィルムオフィスの設立
多くの外国の文化が神戸港を通じて日本に紹介されたが、映画もその一つで1896年11月に日本で初めて神戸で公開された。したがって、神戸は日本における映画発祥の地と言える。
その伝統ある映画文化を継承し、また、21世紀の新しい映像文化を神戸から発信することについて神戸市から要請を受けた田中氏は、1998年からフィルムコミッション設立のための調査や準備に携わった。田中氏は、それまでのテレビ番組制作等に携わってきた経験を活かして地元警察、消防を含む関係者との議論を重ね、コンセンサスを図りながら、2000年9月に神戸市のフィルムコミッションである「神戸フィルムオフィス」を設立、設立時から現在まで代表を務めている。
フィルムコミッションとは、映画、テレビドラマ、CMなどのロケーション撮影を誘致したり、実際の撮影をスムーズに進めるための諸手続を行ったりする非営利の公的機関である。
ハリウッド映画の派手なカーチェイスや街中での銃撃戦に代表されるように、外国ではこの手の映像表現の質は高い。一方、日本では公道使用の撮影ひとつを取ってもハードルが高く、行政が映画撮影に協力することなどほとんど考えられなかった。しかしながら、近年になってようやく、映画やテレビドラマに登場した町の知名度が上がり、このことが観光振興にも貢献するということが徐々に認知されるようになり、国内では2000年2月の大阪を皮切りに全国各地でフィルムコミッションが設立され始め、2003年10月1日現在、59の地方自治体でフィルムコミッションが活動している。
積極的なロケ誘致活動
田中氏は、日本国内はもとより欧米やアジアなどのフィルムコミッショナーやエンターテイメント産業に幅広いネットワークを持ち、映像制作の経験の豊かさを活かしフィルムコミッション活動を積極的に展開している。
神戸フィルムオフィスは、現在まで国内外を問わず多数の映画撮影について、誘致・協力しているが、中でも2002年に公開され日本アカデミー賞を受賞した邦画「GO」では、東京、横浜など他都市では撮影許可が下りなかった地下鉄線路内での撮影を、日本で初めて神戸市営地下鉄で実現させることに成功した。この地下鉄のシーンは映画の中でも重要な冒頭シーンであり、このシーンの撮影が実現しなければこの映画も成立しなかったとまで言われている。
また、同じく邦画「リターナー」の撮影でも、港での夜間の銃撃戦の撮影や公道での車の爆発炎上シーンなど、これまで国内では不可能だった映像表現に全面的に協力し、これを可能にしている。
このほか、神戸市内で撮影場所が確保できない場合にも、他都市のフィルムコミッションと協力して、制作者のリクエストにきめ細かく対応するようにしている。昨年、姫路市内の書写山円教寺(しょしゃざん・えんきょうじ)で撮影のあったハリウッド映画「ラスト・サムライ」も、姫路フィルムコミッションとの連携により撮影が実現したものである。

映画「GO」神戸市営地下鉄線路内での撮影

映画「Returner」公道での爆破シーン
地道な努力の積み重ねとその成果
田中氏は「こうしたことが実現できたのも、地道な努力と理解を積み重ねてきたことの結果」と胸を張る。地道な努力と一言で片付くほど仕事の内容は楽ではなく、制作者から絵コンテや脚本をもらい、イメージに合いそうなロケ場所を案内し、実際の撮影となれば公道の使用許可や消防、警察の許可手続き、宿泊から弁当の手配に至るまであらゆる協力と配慮が求められる。前出「GO」での地下鉄線路内での撮影についても、上映時間は4~5分程度であるが、撮影までには関係者との調整などで3ヶ月もの時間を費やしている。
このほか,エキストラの手配、野次馬の整理などの対応も行う。エキストラ出演した者が、役者の追っかけをしたり、写真を撮ったり、直接話し掛けてサインを求めたり、ワンシーンエキストラがその後の撮影にまでついてきたりするということはよくあることである。しかしながら、緊迫感のある撮影中の現場にとって、そのような行為は、役者はもちろん製作スタッフにも迷惑がかかるため、そのたびに田中氏はその者に厳重注意をするとともに登録データを管理し、以後出演依頼をしないようにするなどのきめ細かな対策をとっている。
一方、田中氏は、映画制作者サイドにも警告を発する。せっかく撮影協力を申し出てくれた施設等協力者に対するたった1度の約束違反が、これまで築いてきた信頼関係を壊し、二度と協力が得られなくなることがあるのだ。
田中氏は、ハリウッドの派手な映像表現も日本のCMやルポの撮影も、特別な違いなど何もなく、すべては人間関係、信頼関係により、すばらしい映像が実現するとの思いを持っており、あたりまえの仕事の積み重ねが大事だと感じている。
こうした田中氏らのたゆまぬ努力により、これまでに403本の番組や映画のロケハンや問い合わせに協力、261本の映像制作に携わり、「KOBE」といえば優れた撮影地点であると国の内外を問わず高い評価を受けるまでになった。
また、ロケ隊の宿泊・飲食などの直接的な経済効果として、これまでに約1億2千万円もの効果を産み出すとともに、映像作品及びマスコミへの露出による「KOBE」のPRにより、神戸への集客観光の振興に貢献している。

BIFCOM2002 韓国(プサン)に出展
飛躍~AFCIへの加盟~
田中氏自身、神戸フィルムオフィス設立準備中にアメリカで、20年以上の歴史を誇る国際的な組織・AFCI(国際フィルムコミッショナーズ協会)の教育プログラムに参加し、フィルムコミッショナーとしての資格認定を受けた。
神戸フィルムオフィスが設立すると、同オフィスはAFCIの日本における正式会員第1号に認定された。さらに田中氏は、2001年11月から2003年10月までの2年間、アジア初のAFCI理事にも選出された。これは、神戸のフィルムコミッション活動が国内外で1つ抜けたものとして評価されていることを意味している。

AFCI主催「ロケーションズトレードショー」に出展
さらなる飛躍に向かって
田中氏は、近年の日本各地でのフィルムコミッション設立の動きについて、「一時的な現象で終わるのではなく、20年、30年とどんどん根付いて、日本映画にもがんばってほしい」との思いを強くしている。
また、田中氏が次のステップに考えているのは、神戸を映像産業集積拠点とすることであり、映像制作や編集ビジネス、インターネットなどさまざまなメディア向けの映像制作ビジネス、さらには映画会社や制作会社、テレビ局などが集積した「映像の都」にするべく、たゆまぬ努力を続けている。
「夢は、神戸を舞台に『ローマの休日』のような何十年たってもみんなに愛される、看板的な映像がつくられること」と田中氏は言う。

文化庁全国FC・コンベンションにパネリスト参加