最終更新日:2010年4月12日
乳頭温泉郷 (有)鶴の湯温泉 代表取締役
主な経歴
1947年
|
秋田県由利郡矢島町生まれ |
1966年
|
秋田県立由利工業高校工業化学科卒業、(株)大平製紙入社 |
1969年
|
(株)大平製紙退社、乳頭温泉郷 大釜温泉経営 |
1983年
|
13代引き継がれた羽川氏から鶴の湯温泉の経営を委ねられ現在に至る。 |
2000年
|
日本秘湯を守る会副会長 |
2002年
|
(社)田沢湖町観光協会会長 |
カリスマ名称
「秘湯の温泉カリスマ」
現代人に「潤いとやすらぎ」を与える温泉づくりを行っている。
選定理由
秘湯ロマンにこだわり、豪雪にも関わらず冬季営業を始め、湯治場風景や自然環境を守るため周辺土地の取得やひなびた姿を残しつつ施設を近代化するなど、乳頭温泉郷の環境保全とイメージアップに指導力を発揮し、全国的な人気温泉地を作り上げた。
具体的な取り組みの内容
田沢湖畔から田沢湖高原に向かうと、秋田駒ヶ岳、その奥には女性の乳房を連想させるような乳頭山が見える。そのすそ野にある乳頭温泉郷の中で、原生林など手つかずの自然との調和を意識して築100年以上の「本陣」を改修するなど、昔からの温泉宿の雰囲気や素朴さを演出し、日本人の「原風景」を思い起こさせる配慮の行き届いた環境整備は、これまでの温泉旅館の概念を打破し、21世紀の温泉のあり方を提示しているものと高く評価されている。
乳頭温泉郷との出会い
乳頭山のすそ野に点在する湯治場として地元の人々から親しまれていた乳頭温泉郷も、豪雪のため冬は休業していた。父親の影響を受けて、小さい頃から日本家屋や自然と調和のとれた風景に人一倍興味を持っていた佐藤氏が、1969年に乳頭温泉郷の大釜温泉に携わり、1983年には13代続いた経営者一族から鶴の湯温泉の経営を委譲された。
佐藤氏が経営を引き継いだ時の鶴の湯温泉は、電気も電話もなく、建物の老朽化も進み、しかも県道から3.5kmもの狭い砂利道を行かなければならないアクセスの悪さがあった。しかしながら、手つかずの自然が残った周辺環境、そして何よりも乳白色で泉質の高い温泉があった。
佐藤氏はまず、中古のブルドーザーを購入し、自ら道路の拡幅に取り組んだ。さらに建設重機を導入しては駐車場、露天風呂などの整備を自ら進めた。また、電気については、初めのうちは発電機を使っていたものの、やがて水車を導入して水力発電を開始。今ではこの水車が鶴の湯のシンボルにもなっている。
そんな折り、温泉のすぐ手前にあった33haの広大な山林にリゾート開発計画が持ち上がった。秘湯の目の前に大きなリゾートホテルが建つのはイメージにかかわると危機感を覚えた佐藤氏は、土地の所有者や銀行に足繁く通い、ついにはこの土地を自費取得することに成功した。この土地では、あえて大きな開発はせずに、自然保護の観点から、ブナの二次林形成と併せて環境整備に取り組んでいる。
しかしながら、土地購入のために銀行から借りた金を返済するために建てたバス・トイレ付きの別館は、あまりはやらなかった。観光客は、どうせなら別館ではなく歴史ある本館に泊まりたいと言い、秘湯のイメージがある本館の重要性を佐藤氏は痛感した。そこで、佐藤氏は、それまで困難と思われた冬期間の営業をついに開始した。これが大きな反響を呼び、スキー客など新たな客層の取り込みに成功し、経営状況は一気に好転した。
今では、乳頭温泉郷は年間約13万人もの観光客が訪れるほどの一大観光スポットとなっている。
一貫した経営哲学
お客さんを大切にする。「来てくれたお客さんが喜ぶこと」が何よりの喜びと考えている佐藤氏は、常に「環境を生かした施設づくり」、「歴史と文化を大切にする」、「地元の物へのこだわり」、「お客目線での対応」の視点から独自の「鶴の湯ワールド」を創り出してきた。
農作業などの疲れを癒すお客で賑わった湯治場も、時代の推移の中で姿を消してきた。そういう中で、頑なまでに昔の湯治場風情を守り、その土地が持つ風景を壊さず、環境を生かした宿づくりを守りながら、旅人を癒す施設も含めた空間づくりと、乳頭温泉郷のイメージづくりに取り組んでいる。
また、日本の秘湯を守る会の佐藤会長や日本山岳協会の野口カメラマンをはじめ、多くの方々からのアドバイスと、先進施設の経営者の教えが、佐藤氏の経営哲学を形成する上で大きな役割を果たしてきた。
環境を生かした施設づくり
江戸時代から続いている湯治場風景と周辺の自然環境を大切にし、その風景や文化を生かした環境づくりに取り組んでいる。
県道から4キロ以上も続く昔ながらの進入路は、「鶴の湯ワールド」へのプロローグの役目をなしているし、電線や電話線の地下埋設や地形を生かした歩道や散策路などの整備は、原風景を壊さない配慮がなされている。
また、秘湯というロマンを守るため、昔からのランプや水車、囲炉裏などの湯治場の雰囲気を十分に生かしている。その反面、施設内は全館暖房し、トイレは水洗化・ウォシュレットを完備するなど、昭和30年代のすきま風が通り抜ける懐かしい建物の中で、快適な時間を過ごせるきめ細かな配慮と工夫が随所に見られる。

夏の鶴の湯(全景)

夏の露天風呂
地元産物へのこだわり
当地で培われてきた食文化や住文化を大切にしている。
職人が焼いた炭が赤々と燃える囲炉裏で、昔から受け継がれてきた漬け物や味噌をベースに、地元の米や山菜を使った山深い湯治宿ならではの「安全で健康」な山菜料理で来訪者をおもてなしする。
また、建物や木を知り尽くした大工が地元の材木を使って行う施設の普請は、地域の気象・風土に徹底してこだわった施設づくりを目指している。
お客と同じ目線で
お客の生の声を直接知ること。情報も一緒に運んでくれるお客とは日頃から進んで話すことで、お客のニーズ把握に心がけている。
その中から、新たに女性専用の露天風呂が生まれ、バス・トイレ付き客室の要望から別館「山の宿」を整備するなど、20年を経過した今日でも、施設のソフト・ハードの改善に取り組んでいる。
また、乳頭温泉郷全体の意識アップを進めるために、湯布院や黒川温泉など、毎年全国の有名宿泊施設の経営者に学び、自然環境の保全、昔懐かしい風景の保全に取り組んでいる。
活動の広がり
最近では、鶴の湯温泉や乳頭温泉郷の環境保全に止まらず、田沢湖畔にある旧潟分校(かつての小学校分校施設)の修復・保存に積極的に取り組むなど、町全体を通して古い建物の保存や環境に配慮し、近代化で失われた美しい農村風景づくりを進めている。
また、2002年5月からは、日本一の水深を誇る田沢湖や玉川温泉、秋田駒ヶ岳など観光資源の豊富な、年間270万人の観光客が訪れる田沢湖町の観光協会長に就任し、全国からの観光客受け入れに積極的に貢献している。と同時に、秋田県内の地域活性化委員会などには積極的に関わりを持っている。
各種事業への主な取り組み
1995年からは、MTBジャパンシリーズ戦(クロカン・ダウンヒル)を誘致し、率先してコース設定から大会運営に関わってきた。
また、2001年からの全日本山岳スキー大会、2003年の東日本医科学生体育大会スキー競技会の誘致にも積極的に関わるなどアウトドアスポーツの振興に寄与している。
更には、毎年2月第4土・日曜日に開催する田沢湖高原雪祭りでは、メーンの雪像づくりを担当し、誘客に努めている。
数々の受賞と佐藤氏のこれから
利用客に対するサービスや日本の原風景としての湯治宿の雰囲気づくりが徹底されており、このことで顧客満足度を非常に高い水準に維持し続けていることが認められて、2002年には宮崎市から第14回岩切章太郎賞を受賞したのを始め、全国の人気投票でたびたび首位に輝いている。
また、佐藤さんの卓越した指導力は、乳頭温泉郷の各施設の意識向上に大きな影響を与え、昔ながらの湯治場であった温泉郷の環境保全の推進と乳頭温泉郷のイメージアップが図られたことから、ブルーガイドの温泉百選で5年連続トップを占め、乳頭温泉郷を一躍全国トップレベルに押し上げたのを始め、旅のペンクラブ賞や観光地づくり賞など数々の受賞を受けるに至り、「一度は行ってみたい温泉」として全国的に著名なものとなっている。
更には、(社)田沢湖町観光協会会長として、秋田空港から角館・田沢湖・乳頭温泉郷への二次アクセスや、2002年12月1日からの東北新幹線の八戸延伸対策として、十和田湖と田沢湖間の定期観光バスの運行実現に尽力するなど、観光業界はじめ地元関係者からその指導力が信頼され、今後も佐藤氏の手腕が大いに期待されている。

秋の鶴の湯
佐藤氏ご勤務先 (有)鶴の湯温泉 (原則ご本人が対応)
電話 0187-46-2139
FAX 0187-46-2761
関連情報はこちら→
鶴の湯温泉ホームページ