最終更新日:2012年9月13日
前静岡県河津町長(静岡県河津町)
七滝温泉ホテル社長
主な経歴
1934年
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静岡県生まれ |
1966年
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河津町議会議員 |
1972年
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株式会社桜井 代表取締役
七滝温泉ホテル設立 |
1978年
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河津町観光協会長 |
1986年
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静岡県観光協会評議員 |
1986年
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河津町長 |
2000年
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株式会社花の蔵(現:河津バガテル公園)代表取締役 |
カリスマ名称
「地域活性化に懸ける『花を活かしたまちづくり』のカリスマ」
選定理由
櫻井氏は、「地域の活性化」をテーマに、特に自然=「花」を活かしたまちづくりを主体に、観光立町としての基盤整備施策に取り組んでいる。早咲きの桜として有名になった「河津桜」をはじめ、特色ある花を『多くの皆さんに見てもらいたい』との思いが原点にあり、さまざまな町おこしに取り組んでいる。中でも、 1991年(平成3年)から始めた「河津桜まつり」は、今では、早春の2月から3月の1ヶ月間に100万人を超える観光客が訪れるイベントに成長させている。
具体的な取り組みの内容
河津桜まつりを全国区に
河津桜は、1955年(昭和30年)ごろ河津川の河原で町民が発見し、自宅の庭で育て、1966年(昭和41年)ごろから開花が始まった。寒緋桜(かんひざくら)と早咲き大島桜の自然交配種と考えられ、1974年(昭和49年)に地名を取り「河津桜」と名付けられ、1975年(昭和50年)に町の木に指定されている。

河津桜原木
1975年(昭和50年)ごろ、河津桜を多くの観光客に見てもらおうと、観光協会が中心となり、河津川河口付近や伊豆急行河津駅付近に200本程度の植栽を行った。その桜並木が成長し、満開の花を咲かせるようになった1991年(平成3年)2月、「第1回河津桜まつり」を開催した。
その後、1996年(平成8年)の第6回には10万人を数え、ボンネットバスを利用したお花見バスなども運行し、誘客に官民挙げて取り組んだ。この時期から、町内商業者や農業者が祭り会場で地場産品の出品・販売を始めるなど経済波及効果も現れてきた。そして、1999年(平成11 年)には来訪が100万人を超えるイベントに成長した。
入り込み客急増のきっかけは、「河津桜まつりを全国的なイベントに育て上げる」との強い意欲のもと、櫻井氏が先頭に立ち、このまつりを季節の話題として取り上げてもらうべく県内のテレビ放送各社を粘り強く訪問し、働きかけたことにあった。ひとつの放送局で取り上げられると、他局でも取り上げるようになり、旅番組のほか食や温泉に関する番組でも取り上げられることにもなり、このまつりの知名度は飛躍的に向上していった。
特に、1998年(平成10年)には、NHK番組「小さな旅」が河津桜を取り上げ、この桜の生い立ちや、それにまつわる地域の思いなどが放映され、大きな反響を得た。また同時期に「じゃらん」「るるぶ」など大手旅雑誌が特集記事を組み、また国内大手新聞もまつりの風景を季節のトピックスとして一面で大きく取り上げるようにもなった。
櫻井氏はさらに、河津桜の開花時期を通じて河津町を全国に情報発信したいと考え、自らNHKへ取材依頼に尽力した結果、NHKが定点カメラを据え、毎朝のニュースや天気予報の背景画面で河津桜並木を放映することになり、「河津桜」と「予算をかけない手づくりのイベント」は、全国に知れ渡るところとなった。
町の先頭にたって観光振興をリードしていく櫻井氏の行動力は、「小さな町で、少ない予算で、より多くの人を集め、地域を活性化する」というモットーを実践したものであった。
観光を通じたまちづくりへの信念
旅行を愛する櫻井氏は大学卒業後、海岸沿の今井浜地区で兄が経営する旅館、株式会社桜井に就職した。1972年(昭和47年)に代表取締役となり、天城山系に位置する七滝地区に新たに温泉ホテルを設立した。今では七滝地区はそのすばらしい自然景観と「伊豆の踊子」の舞台として有名な観光スポットになっているが、当時は観光客の入り込みのほとんどない無名の地域だった。

河津七滝 初景滝

河津七滝 大滝
櫻井氏は、ホテルの経営とともに、地域の観光リーダーとして七滝地区の開発に尽力したが、その活動を通じ、「河津町は観光なくしては生きていけない」との思いを強くした。
観光地伊豆の中では無名であった河津町を、埋もれている資源を活用することにより何とか活性化したい、そのためには自分がリーダーとなり町の振興に尽くしたいとの強い思いから、2度目の挑戦で町長に当選した。
観光立町への強い信念が、現在、観光客ばかりでなく住民にも夢と希望を与えるユニークな花のまちづくりや、若手旅館経営者をはじめとする後継者の成長などとなって実を結んでいる。
若者を巻き込み地域一丸となった取組み
より一層の活性化と観光資源の有効活用を図るため、「宿泊客を増やしたい」「昼とは違った趣で河津桜を楽しんでもらいたい」との思いから、桜並木のライトアップを実施するとともに、構想を抱いていた「夜桜まつり」を旅館組合青年部に提案し、2000年(平成12年)からお茶や甘酒の無料サービスが実施された。
旅館組合青年部は、厳寒の2月の夜、旅館経営の仕事終了後に集合し、火鉢、テーブル、椅子から甘酒の準備を自ら行った。彼らの献身的な行動は多くの町民から共感が得られ、商工会女性部や青年部をはじめ近隣の住民なども加わり、充実した運営体制が整えられることとなった。
このイベントは定着し、夜桜見物だけでもまつり期間中に1万人を超えるようになり、町内だけでなく近隣の東伊豆町や下田市などの宿泊客増にもつながるなど、多大な波及効果をもたらすこととなった。

夜桜ライトアップ
さらに、ライトアップ事業区域の拡大に伴って、地域住民による自主的な桜の名所・名木のライトアップや個人宅の庭でのライトアップも行われるなど、町内の多くの場所で特徴ある「夜桜」が見られるようになっている。
櫻井氏の「町の発展には若い世代の力が欠かせない」との思いと指導力が、若手旅館経営者など多くの住民の参画を得ることにつながり、まさに地域一丸となってのイベントに育っている。
イベントの成長に伴う諸問題の発生と対応
短期間に100万人を超えるイベントに成長した河津桜まつりは、地域に大きな経済波及効果をもたらしているが、入り込みが想像を超えるものとなり、駐車場やトイレ問題、交通渋滞による一般町民生活への支障など、対処しなくてはならない問題が生じてきている。
駐車場対策では、7,000台を超える大型バスについては会場近隣の土地数箇所を町で借り上げ、30,000台を超える小型車は、公共交通機関と連携した「パーク&ライド方式」の導入で対処した。さらに休日は、学校職員駐車場や校庭の一部開放、庁舎駐車場の開放などにより駐車場不足に対応している。
また、2004年(平成16年)には河津駅周辺地区の空き地を借り上げ、県事業を活用し、全面舗装した駐車場の整備を進め、桜まつりの人や交通の集中化を、点から面へ拡散することにより、スムーズな流れをつくることに取り組んでいる。

河津桜まつり
トイレ対策には特に苦慮し、既存の箇所では対応できず新たな観光トイレの新設と仮設トイレの増設をはじめ、学校の屋外トイレや庁舎トイレの開放などにより対応している。また、桜並木のある河津川に面した場所にトイレ施設を含む親水園地の整備が完了し、2005年(平成17年)のまつりからトイレ対策も一層充実することとなった。
これらへの人的対応は町の観光関係者だけでは不可能であり、櫻井氏の指導力と調整力の発揮によるところが大きく、櫻井氏が先頭に立ち、町役場職員、町議会議員の総意によるイベント支援や駐車場誘導及び施設案内、町内中学生ボランティアによる桜まつりのアンケート調査実施、さらに隣接市町の観光関係団体からの応援など、町内外を巻き込んだ運営体制が年々整ってきている。
また、地域外から出店する臨時商店も年々増加し、それらの販売品に対する苦情処理の対応にも苦慮しているが、これらの出店に対し条例による規制(届け出制)を検討し、2004年度(平成16年度)、河津桜まつり露店営業管理条例を制定した。この条例は1年の周知期間をおいて次回のまつりから適用される。
10年後を見据えた新たな挑戦
町内には河津桜よりさらに早咲きの桜があることを利用し、桜シーズンを長期化させ、一層の誘客を図ることに現在取り組んでいる。この早咲き桜(紫紅色の花びらが特徴)は、河津桜原木の実生と考えられ、12月下旬には開花を始め、河津桜が開花する頃まで咲き続ける。2001年(平成13年)から、この原木所有者と、河津町の出願により新品種として登録することについて協議を進め、2003年(平成15年)11月に「河津正月」として品種登録を完了させた。
河津桜の保護・育成・増殖とあわせ、「河津正月」の増殖方法を町内の花木生産者に指導し、生産を進めるとともに、河津桜と同様に多くの人に見てもらえるよう町内数箇所に桜パークの整備を進めている。これらは10年後には新しい早咲き桜の名所として、河津桜まつりのプレイベントとして公開できる予定であり、年末年始まさに正月誘客の観光資源として活用されることが期待されている。
こうした観光誘客による振興と農業生産者の育成も兼ねた施策は、「観光と農業を融合させたまちづくり」という櫻井氏の哲学に基づくものであった。
「花の生産地」から「花の観光地・まちづくり」
河津町は、カーネーション、花菖蒲、バラなどの施設園芸が盛んな生産地であり、1998年(平成10年)に日本一早い露地栽培の菖蒲園「かわづ花菖蒲園」を、2001年(平成13年)にはバラを活かした庭園式の公園「河津バガテル公園」を、2003年(平成15年)には主要生産花であるカーネーションの見本園を、2004 年(平成16年)にはユリ園をオープンさせている。これにより、早春の河津桜から花菖蒲、春バラ、ユリ、秋バラ、カーネーションと1年中花を見られる環境が整い、花を目当てに町を訪れる交流人口の増大を町の農業や観光産業の振興につなげるとともに、町民の憩いの場として花を楽しめる町となっている。

かわづ花菖蒲園

かわづカーネーション見本園
これらの「花」を活かした町づくりのきっかけとなったのが、櫻井氏の国内外を問わない趣味の旅行によるところが大きく、各地を見て回った中で「自然の素晴らしさ」を感じたことから発想されたものであった。
温泉については、東洋一の大噴湯など有数の資源がありながら、全国的な温泉ブームの中で注目度やアピール度は今一つであった。そこで「河津の自然と資源を活かした活力あるまちづくり」という河津町長就任以来の考えを、花と温泉をマッチングさせることにより立案・実践し、河津町を、海水浴に代表される夏型観光地から、1年を通じて花を楽しめるまち、四季を通じた花のイベントによる通年型の観光地へと転換させた。
さらに、伊豆中央の天城山という大きな森林資源を活かすため、隣接する天城湯ヶ島町(現伊豆市)と連携し、もみじなど広葉樹を植栽し、秋のイベントとして利用することを検討するなど、「待っていても、伊豆には観光客は向こうからやって来るという従来の発想を捨てることが必要だ」と周囲に訴えながら、伊豆の再生を常に考え行動している。
小さな町の大きな期待
切バラの産地でもある河津町は、農業と商工観光業の有機的連携を図り、河津町を舞台としたフランスと日本の文化交流や花の文化継承など、個性豊かなまちづくりを推進することを目的として、2001年(平成13年)に河津バガテル公園を整備した。これは、フランスのパリ、ブローニュの森にあるバガテル公園のバラ園を再現したもので、約7haの広大な公園である。ローズガーデン(フランス庭園式バラ園)には1,100種、6,000本のバラが植栽され、4月から11月まで楽しむことができる。フランス広場には、ベルサイユ宮殿の小離宮を再現した各種ショップやマリー・アントワネットのアモー(田舎小屋)を再現したレストランなどもあり、バラだけでなくフランスの文化や雰囲気を楽しむことができる。

河津バガテル公園 ローズガーデン

河津バガテル公園 レストラン「バガテル」
河津バガテル公園は、町が2分の1、その他は地元企業、団体が出資する第3セクター「株式会社河津バガテル公園」により運営されている。この会社の取締役社長は櫻井氏であるが、実質的な現場経営者である支配人には、民間から適材を人選し運営にあたらせている。また、バラの育成・管理の専門家を養成するため、会社採用の社員をフランスに派遣し、技術習得させ、園芸責任者として育成するなど、民間の経営能力、経営感覚を最大限に生かし、民間主導による経営の確立を図っている。
さらに、町営国民宿舎「かわづ」の運営を2004年(平成16年)から株式会社河津バガテル公園に委託し、国民宿舎事業のイメージ刷新を図った結果、上半期を経過し、宿泊者数の20%増加などにその成果が如実に現れてきている。
税収の伸び悩み、三位一体の改革による地方交付税等への影響など町財政が非常に厳しい中、株式会社河津バガテル公園は、年間5,000万円の使用料収入を町財源に繰り入れるなど、大きな貢献をしており、「花で1億円を稼ぎ出す」という櫻井氏の信念の下に展開されているこれらの取組みは、『小さくても輝くまちづくり』をスローガンに掲げる小さな町の「大きな期待」となっている。
参考資料
・「河津桜まつり」パンフレット
・「河津バガテル公園」パンフレット
・「かわづ花菖蒲園・カーネーション見本園」パンフレット
・2005年1月29日 静岡新聞
・2002年1月29日 伊豆新聞
・2001年2月27日 朝日新聞
・2000年2月24日 伊豆新聞
・2000年3月16日 伊豆新聞
・2000年1月 4日 伊豆新聞
・1999年3月12日 伊豆新聞
・1999年3月10日 伊豆新聞