最終更新日:2010年4月12日
(株)加賀屋 代表取締役会長
主な経歴
1940年
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石川県七尾市和倉町生まれ |
1962年
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立教大学経済学部卒業 |
1979年
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株式会社加賀屋代表取締役社長 |
1986年
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七尾商工会議所副会頭 |
1986年
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和倉温泉旅館協同組合理事長 |
1987年
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七尾マリンシティ推進協議会会長 |
1989年
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石川県人事委員会委員 |
1992年
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なら燈花会の会」会長 |
2000年
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株式会社加賀屋代表取締役会長 |
2002年
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七尾市観光協会会長 |
2002年
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能登半島広域観光協会理事長 |
2002年
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石川県観光連盟副会長 |
カリスマ名称
「外客誘致と広域観光のカリスマ」 国内でもいち早く台湾からの旅行者誘致を成功に導き地域の活性化に大きく貢献するとともに、旅館業を観光産業の核として位置づけて、時代と共に変化するお客様の旅行ニーズに応じた地域づくりと観光業の発展のため、広域的な連携で観光地づくりを推進。
選定理由
旅行の国内需要が限られ、海外誘客が課題になる中、日本の旅館文化そのままに、いち早く台湾からの誘客に成功した。また、自社の旅館業にとどまらず、和倉温泉の魅力アップのための事業を展開するとともに、能登半島、ひいては石川県全体の観光産業の発展や地域の活性化に尽力し、交流人口の増加に貢献した。
具体的な取り組みの内容
和倉温泉の旅館「加賀屋」を「プロが選ぶ日本のホテル・旅館百選」において総合1位の座に就く和風旅館に育て上げ、現在も「23年連続日本一」の座を維持し続けている。
台湾誘客の先鞭(外客誘致の仕掛人)
小田氏は、旅行の国内需要が限られていることから、海外市場にいち早く目を向け、外客誘致を最重要施策と位置づけ、平成8年から台湾誘客に乗り出した。 台湾では、企業が成績優秀者や取引先を旅行に招待する「インセンティブ・ツアー(報奨旅行)」が日本以上に活発であることに小田氏は注目し、台湾の旅行社を通じて保険、自動車、化粧品会社などに自ら奔走し、積極的に働きかけるとともに、現地の新聞やテレビにも積極的に広告を出すなど「日本一の旅館」加賀屋の存在をアピールし、「加賀屋へ行こう」の合い言葉を浸透させ、加賀屋を台湾で最も有名な日本旅館にした。その結果、台湾からの旅行者が多数訪れ、加賀屋に泊まることがステータスとなるほどの人気となった。台湾誘客に乗り出した平成8年には5千5百人、平成9年以降は年間約8千人前後の台湾客が訪れている。 小田氏は、「温泉、和食、浴衣、畳でくつろぎ布団で寝る。旅館は本来、日本文化の象徴。それが台湾の人に受け入れられた最大の理由ではないでしょうか」と話す。ここにも、23年間「旅館日本一」を支えている自信とおもてなしの心がのぞく。 また、「大陸に一番近い空の玄関」であると将来は中国からの誘客にも意欲を覗かせている。これが旅館「加賀屋」だけでなく、能登ひいては石川県全体の観光地域の活性化に繋がっている。

加賀屋全景
七尾港の活性化に向けた取り組み
日本海につながる要港として歴史を刻んできた七尾市は、能登の中核都市として、商業の中心地として大いに栄えてきた。しかし、昭和60年頃より、折からのモータリゼーションの影響を受け、七尾港が衰退してきた。これに対処するため、危機感を持った小田氏は、ウォーターフロント開発や都市再生を目指した七尾マリンシティ推進協議会の会長として、七尾港の活性化に向けた取り組みを行い、七尾市を含めた第3セクターによる「能登食祭市場」を1991年に開業した。小田氏は現在でも施設運営会社の社長として同施設の経営にあたっているが、和倉温泉の観光客のみならず地元客にも好評であり、2003年1月で来場者1000万人を達成した。

和倉温泉空撮全景
イベントの実施
和倉温泉観光協会会長・和倉温泉旅館協同組合理事長として長年にわたり和倉温泉の魅力づくりに携わってきた。また、前述のウォーターフロント開発の視察先であったアメリカ西海岸モントレー市のジャズフェスティバルに学び、和倉温泉の音楽イベントとして「モントレージャズフェスティバルイン能登」をはじめ、「和倉温泉冬花火・海鮮まるごと大鍋とうまいもん市」など他の地域に見られないイベントを実施している。

イベントの一つ、和倉温泉夏花火大会
広域観光への取り組み
小田氏は2002年石川県観光連盟副会長・能登半島広域観光協会長・七尾市観光協会長に就任、それまでも和倉温泉観光協会会長として各団体の役員を勤め、石川県全体への誘客のための商品づくりや組織づくりに尽力し、「地域の発展は『人づくり』から」の考えから、「おいであそばせ運動」(注)の全県的な推進のための研修会や講演会を実施している。
また、小田氏は昭和22年から続いた官主導の「能登半島観光協会」を民主導の「能登半島広域観光協会」に切り替え、新たな旅行商品づくりやおもてなし研修など活発な活動を展開している。
(注)「おいであそばせ運動」とは、正式には「ほっと石川おいであそばせ運動推進協議会」で、全国各地から訪れる観光客を心からお迎えし、再訪を促していくため、接客業関連従事者を中心にホスピタリティ(おもてなしの心)の向上を図ることを目的としたものである。
能登空港開港への情熱と開港キャンペーンへの取り組み
2003年7月7日の能登空港開港に当って、小田氏は人一倍の思い入れがある。それは、「おらが空港」能登空港は海外に開かれた玄関であるという思いである。 小田氏は空港開港を能登半島の発展のための千載一遇の好機と捉えて、「このチャンスを生かして、21世紀の基幹産業となる観光を力強くしなければならない」と能登半島広域観光協会理事長として能登半島全体の市町村をとりまとめ、能登空港開港キャンペーンに取り組んでいる。

空撮全景 能登空港/ターミナルビル
旅館経営のコンサルタントとして
小田氏が会長の「加賀屋」では、地元のみならず全国の旅館の経営コンサルタントにも乗り出している。これまでの加賀屋の経営で培ったノウハウを生かし支援している。小田氏は「旅館はまだまだマネジメントが弱い。我々の蓄積がお役に立てるなら協力したい」と、要請があれば快く引き受けている。
「地域の光」を増やすために
「観光」の語源は中国の易経にある「観国之光」、「国の光を観る」である。小田氏はこの語源を引用した上で、「能登には独特の風土が培われた地域の光、つまり自然や文化、産業がある。これらに磨きをかけ、光を増やしていくことを考えたい」と、観光地域づくりに意欲を燃やしている。

和倉温泉伝統の祭「石崎奉燈祭」
参考文献
北国新聞「シリーズ 能登に生きる」
『旅館日本一2003.2.24―3.2掲載記事より一部引用』
(株)加賀屋 営業部 営業課主任 三井則由様
電話 0767-62-1111
FAX 0767-62-1121
関連情報はこちら→
加賀屋ホームページ