最終更新日:2012年9月20日
元)群馬県草津町長
(株)ナカザワビレッジ 代表取締役会長 等
主な経歴
1949年
|
群馬県吾妻郡草津町生まれ |
1972年
|
私立立教大学社会学部観光学科卒業 |
1977年
|
スイスホテル協会経営 ローザンヌホテルス
クール卒業 |
1996年
|
株式会社中沢ヴィレッジ専務取締役 |
1998年
|
草津温泉旅館協同組合理事長 |
2002年
|
群馬県吾妻郡草津町長 |
カリスマ名称
「自立と共生のカリスマ」 地方公共団体として国から「自立」した観光地づくり、全町民参加による「共生」の観光地づくりを進めている。
選定理由
「湯治場」の原点に戻り、古い街並みの再現や歩行者天国の設定、街並みデザインの統一など「歩きたくなる観光地づくり」を進める一方で、ホテル旅館事業主の先頭に立ち宣伝活動を行い、大温泉地が苦戦するなかで草津温泉の活性化を実現した。
具体的な取り組みの内容
草津町の町民憲章「歩み入る者にやすらぎを、去りゆく人にしあわせを」を基本理念に、理念実践五原則「安全」(誰もが安心して暮らせる町)、「清潔」(誰もが訪れたくなる美しい町)、「親切」(人の気持ちが通う町に)、「誘客」(町のセールスマンでありたい)、「節約」(企業人の視点から財政を捉え、教育・環境・福祉の改善につなげます)の実践につとめている。

草津温泉点描(全景、湯桶、湯釜、湯滝、灯籠、あずまや)
スイスへの遊学
中澤氏は、草津温泉屈指の老舗旅館の後継ぎとして生まれながら、すんなりとその地位に甘んじることなく、ヨーロッパのホテル業務のノウハウを取得するため、スイスに遊学した。スイスホテル協会の設立したホテルスクールで学んだ後、ジュネーブで実際にホテル実務にも携わった。
ホテル・旅館の事業主の先頭に立って
帰国した中澤氏を待っていたのは、低迷する草津という現実であった。草津町の産業は観光一本であることから、中澤氏は危機的な状況にある観光産業の立て直しとして、湯の町古来の魅力を高めるブラッシュアップ計画を立てるとともに、草津温泉のホテル旅館の事業主の方々の先頭に立ち、観光客誘致のためあらゆる方面に宣伝に出かけ観光客の誘致を図った。現在でも、自ら動く広告塔と称して全国各地を駆け回る日々である。
ブラッシュアップ計画とは、平成9年より3年間、観光協会、旅館組合、商工会による計画策定協議会を得て、「古さと新しさを兼ね備えた新湯治場」を目標像として策定した全体計画のことであり、これにより、温泉街の散策を促すマップづくりなどの事業に取り組み、旅館を中心とした人々の意識改革を進めている。
キーワードは「自立」と「共生」
年々厳しさを増す地方公共団体の財政であるが、国の財政も同様であり、もはや国にばかり頼ってはいられないと考えた中澤氏は、地方公共団体の「自立」を掲げた。その実現のために、国による規制緩和を訴え続けている。
また、中澤氏は、町制懇談会を開催し、「共生」というキーワードについて語りかけている。「共生」つまり“共に生きよう”ということを基本姿勢として、「全町民参加で、日本一元気な観光地づくり」を目指し、意識改革を日々訴えている。
歩きたくなる観光地づくりを目指して
単なる声がけにとどまらず、団体客から個人客へと旅行の趨勢が移ってきたことを捉え、中澤氏は、草津温泉の町並み、周辺環境に気を配る。もともと「湯の町・草津」は湯治場として栄えていたところであるため、湯治場の情緒を醸し出す古い町並みを再現すべく、伝統的な建築様式を模した旅館やホテルには工事費を助成することとした。
また、個人客が草津の町並みを一人歩きしやすくするように、「歩きたくなる観光地づくり推進事業」を掲げ、歩行者天国を整備し、案内板や街灯の色彩やデザインの統一を進めている。さらに、環境にも配慮し、老朽化した公用車についても低公害車に切り替えるということを進め、さらに、こうした「歩きたくなる観光地づくり」を、これからの草津温泉の「快適空間の創造」の指針とすべく、一過性のものではない永い将来にわたる基本計画の作成に取り組んでいる。
草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティバル
草津町では、世界的な音楽家とクラッシック音楽を志す生徒が、高原の清い空気の中に集い、毎年テーマにそって音楽の心を伝え会い、併せてコンサートを開催するという取り組みである「草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティバル」を、毎年8月中旬から下旬の14日間にわたり、草津音楽の森国際コンサートホールで開催している。
講師には国内外の音楽大学、交響楽団等で活躍する第一級の音楽家を招聘し、日本及び近隣諸国の若い音楽生たちにマスタークラスの個人レッスンをもって、最高の技術と豊かな音楽性を学ぶ機会を与え、併せて、招聘した教授陣によるコンサートが開催されており、1980年の第1回以来23回の歴史を重ね、幸いに音楽家や聴衆の間からの熱心な指示もあり順調に発展している。
温泉観光地という旧来のイメージが強い草津温泉にあって、新たな定着した文化事業として、「国際温泉リゾート」として内外に注目されることにつながっている。
中澤氏は、自らアカデミー事務局の副会長を務めるなど積極的に取り組み、昨年は長年の懸案でもあったイタリア製パイプオルガンを設置するなど、草津町を国際音楽都市として定着させている。

草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティバル
温泉熱で新エネルギー
中澤氏はまた、地域の自然環境や産業を生かした新エネルギー開発に向け、経済産業省の外郭団体「新エネルギー産業技術総合開発機構(NEDO)」の支援を受け、新エネルギー導入計画を策定することを決めた。
具体的には、日本一の自然湧出量を誇る温泉などを生かして、環境に優しいエネルギーの自給自足を目指すというものである。草津町は以前から、温泉熱を利用して道路融雪や家庭の温水供給を行うなど、クリーンエネルギー導入に積極的で、今回、NEDOと協力して新たなエネルギー実用化の可能性を探すこととなる。きれいな空気は観光振興にもつながり、まさに一石二鳥の施策といえる。
日本ロマンチック街道
草津温泉は、外国との交流は古く、明治政府がドイツから招聘した東京医学校(後の東京大学)教授・ベルツ博士が1878年に草津を訪れた時以来と言われている。ベルツ博士は、日本の各地を旅行し、日本の良さを訪ね歩き、古くから日本に伝わるものの価値を見出し、それを積極的に取り上げ、研究をした。
その一つが温泉治療であり、草津温泉をこよなく愛し、草津温泉を海外に紹介した。 このベルツ博士の生誕地であるビーティッヒハイム・ビッシンゲン市との姉妹都市関係は昭和37年に締結されていたが、この縁に基づき、1987年に日本ロマンチック街道を設立し、翌年には、ドイツのロマンチック街道協会と「姉妹街道の締結」を行っている。
また、1994年には、カナダメープル街道協会と友好親善を結び両街道の地域の人々、民間団体、所属する自治体間の友好関係を深める交流を行っている。 日本ロマンチック街道協会は、上信越国立公園内の3県(長野、群馬、栃木)にまたがり、広域観光ルートの設置や、各種プロモーション、そして、情報の発信を行い、広域的な連携による誘客につなげている。
中澤氏は、日本ロマンチック街道協会の会長として、さらに推進を実施している。
外国人旅行者の誘致
中澤氏は、今後の草津温泉を考えた場合には、ベルツ博士ではないが世界無比と言われる草津温泉を、より多くの人々に提供をすることが最も必要であると考えている。このことから、中澤氏は、日本各地はともかく、外国からの旅行者の誘致が必要であるとの考えをもっている。草津町はビーティッヒハイム・ビッシンゲン市(ドイツ連邦共和国)、カルロビバリティ市(チェコ共和国)、ノイシュティフト市(オーストリア共和国)、スノーウィリバー市(オーストラリア)の各都市と姉妹都市、ドイツ・ロマンチック街道との姉妹街道といった関係があるため、これを活用した交流を進めるとともに、北京第二外国語学院の教授を招聘した「日本と中国との観光交流について考えるシンポジウム」の開催、外国青年招致事業などを実施している。
今後、さらに訪日外国人旅行者の誘致に力を入れて行くことを基本に、国が進める訪日外国人旅行者倍増政策「ビジット・ジャパン・キャンペーン」に、草津町として連携・共同して実施するよう準備を進めるなどしている。
草津のこれから
現在では、各種誘客対策の実施の効果もあって、群馬県内で行ってみたい温泉の上位(平成12年度実績延べ宿泊利用人数で1位草津、2位伊香保、3位水上) にランクされるまでになった。一時期落ち込みが激しかった観光入り込み客数も持ち直し、現在では年間300万人弱で安定的に推移している。
今では草津町長として観光振興に当たる立場となった中澤氏は、草津町全体を温泉のテーマパークとして、楽しく魅力ある町にするべく、住民と対話を続けている。将来は、草津の名所「湯畑」を世界遺産登録したいと、夢も膨らむ。

草津の霧氷

草津の夜景