最終更新日:2012年9月20日
(有)日間賀観光ホテル元代表取締役社長
主な経歴
1949年
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愛知県南知多町日間賀島生まれ |
1967年
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私立大同工業高等学校卒業 |
1967年
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家業の旅館 三平に勤務 |
1992年
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日間賀観光ホテル代表取締役に就任 |
1997年
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南知多町観光協会日間賀島支部長(日間賀島観光協会長) |
2000年
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南知多町観光協会副会長(2001年まで) |
カリスマ名称
「漁業を活用した離島観光のカリスマ」
離島というハンディを逆手にとり、漁業と観光を融合させた取り組みを行っている。
選定理由
「見る観光」から「参加する観光」へと変化しつつある観光客のニーズに応え、漁業と観光の融合にいち早く取り組み、さまざまなアイデアを実行に移して、離島ながらも多くの観光客の心をつかむことに成功した。
具体的な取り組みの内容
たこの島としてアピール
日間賀島は知多半島の南端、師崎港の沖合2キロに位置する面積0.75平方キロ、人口2,350人の島である。

日間賀島全景
周辺は、伊勢湾と三河湾にまたがった好漁場であり、多くの魚介類が水揚げされている。日間賀島は、昭和40年頃よりこの新鮮な魚介類を食べさせる観光地として観光客を獲得してきた。
家業の旅館を経営していた中山氏は、篠島などとの観光地の共生や観光の動向の変化を考えたとき、魚介類を食べるだけならば他の観光地でも可能であることから、日間賀島としては何か独自の魅力が必要であると考えていた。
そういった状況の中で思いついたものが、たこだった。たこは、日間賀島で大量に水揚げされ、島内では普通の食材として活用されていた。例えば、たこを天日干しにして加工した「干だこ」が、古くから保存食として正月の行事のお供え物として使われている。また、日間賀島に伝わる昔話に「たこあみだ様」という話があった。
《たこあみだ様》
むかしむかしこの地方で大地震が起こり、日間賀島と佐久島の中間の大磯に存在していた筑前寺の本尊胎内仏が津波で流されてしまった。村人がいくら探しても出てこなかったが、ある日蛸漁をしていた茂二郎さんの蛸壺から本尊様が発見された。それも大蛸に抱かれて。大蛸に助けられた本尊様は、体を張って守ってくれたお礼として、蛸の大好物のアサリとカニを島周辺に呼びよせてくれたそうな。それ以来、島で良質の海の幸がた~んと採れるようになったんじゃ。
日間賀島はたこに由来する島なのだ、ということを再認識した中山氏は、日間賀島を「たこの島」として売り出すため、まず、たこのキャラクターのデザインを始めた。たこであれば、島内の旅館・民宿で簡単に手に入り、しかも家庭で普通に食べているものであるから料理も慣れているということで賛同を得て、どこの旅館・民宿でも必ずたこの丸茹でを食事に出し、たこ飯・たこ刺し・たこのしゃぶしゃぶ等たこ料理をメニューに追加することとした。
また、たこグッズ(たこのオチョコ)等も作成し売店に置き、島の玄関口である観光船乗り場にたこのモニュメント(ふるさと創生事業による。設置に当たっては、島の子供からお年寄りまでの総意によった)を設置するなど、「たこの島」をアピールした。 これらのおかげで、日間賀島は「たこの島」として親しまれるようになり、多くの観光客を誘客することに成功した。
次は「ふぐの島」~60軒の宿でふぐ料理
ただ、観光客の入り込みが多いのは春から秋であり、この期間にはつり、活魚料理、海水浴でにぎわうが、10月から3月は閑散期となり、観光客がほとんどいなくなってしまっていた。したがって、観光振興の次のポイントは、この閑散期の期間に観光客を呼ぶことができる観光資源を考案することであった。 このとき中山氏は、冬季に旬を迎えて、日間賀島周辺で豊富であり、しかも客を呼ぶことができる魚を考えていた。
その答は平成元年にやってきた。もともと日間賀島周辺ではふぐの延縄漁が盛んであり、毎年10月から翌2月までの間、高級魚の「とらふぐ」が大量に水揚げされるものの、そのまま下関へ出荷されていた。むろん日間賀島でもふぐ料理は提供していたが、全国的にクローズアップされるほどではなかった。 そんな中、平成元年。日間賀島周辺ではふぐは豊漁だったが、一方でふぐの本場として知られる山口県下関市付近では不漁となり、下関から日間賀島までふぐを買い付けにくる業者が殺到し、漁家は巨大な利益を得たのである。
ふぐは客を呼ぶことができる魚であるということを再認識した中山氏は、このふぐを産地である日間賀島で手頃に提供できないかと考え、今度は「ふぐの島」を目指そうと提案した。これには日間賀島観光協会役員からの提案もあり、「ふぐ加盟店」が誕生した。この加盟店では、ふぐに関する本格的な商品化の検討を進めるかたわら、鉄道会社との企画で実施されるツアーの受け入れ先として、民宿の料理技術の向上も課題であったことから、下関からふぐ料理の専門家を招き講習会を開催するなどふぐ調理の資格取得を促進して、ふぐ料理の民宿を多く養成してきた。
こうした努力が実を結び、当初、日間賀島でふぐ料理の出せる宿は数軒しかなかったものが、今では約60軒の宿がふぐ料理を出せるようになった。これを受けて平成9年には初めて「ふぐ祭り」を開催、2月9日を「ふぐの日」としてイベントを開催するなどPRに努めた。これは鉄道会社との企画商品によるところが大きく、さらに沿線での宣伝効果もてきめんであった。その結果、閑散期でも多くの観光客が訪れるようになり、全島が「ふぐの島」として比較的安価にふぐ料理が楽しめる島としての評価を確立した。今では、春から秋のシーズンよりも、かつて閑散期とされた時期の方が観光客の多い年もあるという。なお、中山氏は下関で行われるふぐ供養に参加されていることも付け加えておきたい。
自然体験漁業の企画
近年、観光客のニーズは見る観光から参加する観光に変わってきた。グリーンツーリズムやエコツーリズムなどがその例だが、中山氏は、離島・日間賀島の観光も、味覚(グルメ)に重点を置いた観光にとどまらず、漁業を間近にみて、体験することを加えれば大きな飛躍が期待されると考え、小学生を中心とした自然体験漁業のソフトづくりに着手した。 その過程で、採算性を考えると魅力的なイベントが実現できないことに頭を悩ませた中山氏は、逆に今すでにあるイベントを観光に結びつけようと考えた。

イベント「たこまつり」風景
今年は8/12(火)に開催 自然体験漁業は、都会や山間部で生活している人々には、未知の経験であり大変魅力的な体験であると思われるが、それを実施していただく漁師の方々に相談すると、やはり採算面で問題があり、なかなか実現できない。
そこで、当分の間ボランティアとして考えてもらい協力していただきたいと説得し、漁に出ない時間に出てもらったりして一つ一つ長い時間をかけて自然体験漁業のソフトづくりを完成させた。
中山氏は言う。伊勢湾は豊かな漁場を誇り、手付かずの自然が多く残されている場所である。私たちは、古くから残る自然から多くのことを学び、伝承し続けている。この「学び」から生まれた生活を、現代の子どもたちに、共に、体験し、学んでもらうために、「自然体験漁業」を企画したのである。 中山氏が考えた自然体験漁業メニューは、海釣りと遊覧、堤防つりといったものから、たこのつかみどり、地引き網漁、底引き網漁、きす網漁、干物づくりといった本格的なものまで様々である。このほか現在では、オリエンテーリング、レンタサイクル、イカダづくり&遊び、お寺で聞く法話と民話、浜掃除、たこカレーづくり、バーベキュー、民宿ホームステイと多数のメニューが用意されている。

さまざまな自然体験漁業メニュー。(左)たこつぼ漁(中)たこのつかみどり (右)イベント「キッズアドベンチャー」でのイカダづくり風景。
漁協と観光業界の信頼関係
たこ、フグといった魚介類にせよ、自然体験漁業にせよ、漁業と観光の融合がここまでうまく成功している離島は少ないが、日間賀島の場合特筆すべきは、この融合が他にありがちな自治体主導で行われたのではなく、あくまでも漁業者と観光業者といった民間による主導で行われた点にある。
日間賀島においては、漁業と観光が一つになって島がまとまり元気がいいと言われている。それは「島をよくしたい想い」を多くの島人がもちあわせているのであろう。 とりわけ、自然体験漁業については、漁協の全面的な協力があったから実現したといっても過言ではない。漁協組合長は、島が生きていくためには漁師も観光業者も相互に良くならないといけない、特に漁業よりも島内の就業人口が多い観光業界は大事にしなければならない、と考える人物であったという。
離島というハンディを乗り越えて
こうした取り組みが功を奏し、平成9年には約27万人にまで落ち込んだ観光客数も、平成12年には約34万人にまで回復した。また、島の人口はUターンもあって、ここ6年間に約300人増加している。島の若者は漁業も観光も垣根のない感覚を持って「島をよくしたい、仲間を大切にしたい」想いをもって、普段から島の良さ、ひいては自分の良さを見つけようとしている。
離島は、交通アクセスの不便さから、ついつい観光地としては敬遠されがちである。しかしながら、組合長に代表される漁協、そして観光関係者など島民が一丸となって取り組み、離島に豊富にある観光資源、離島でしか体験できない様々な自然体験を観光メニューとして育成すること、つまりマイナス要素をプラス要素に変えていくことによって、観光客を呼び戻すことができるということは、他地域への好例となろう。
中山氏は言う。「これまで漁協組合長に教えられ、そして漁協のサポートを受けてきた。私が先輩方の大きな傘の下で活動させていただいたように、これから少しでもよりよい環境づくりのためにお役に立ちたい」と。