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森賀 盾雄(もりが たてお)

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最終更新日:2011年3月1日

愛媛大学農学部 教授
森賀 盾雄

主な経歴

1948年
愛媛県新居浜市生まれ
1972年
岡山大学法文学部経済学科卒業後、新居浜市職員
1992年
日本青年会議所地域づくり応援室インストラクター
1996年
日本青年会議所地域主権委員会アドバイザー
1999年
新居浜市産業振興部商工観光課長
愛媛県「県民のための地域づくり懇談会」専門部会委員  
2000年
「近代化産業遺産全国フォーラム」事務局長

カリスマ名称

「地域資源を活かしたオープン博物館都市づくりのカリスマ」
国内では近代化産業遺産の活用が部分的でしかない頃から、新居浜市及びその周辺の近代化産業遺産を独創的アイデアで観光等のまちづくり資源として活用し、近代化産業遺産モデル活用都市の基盤をつくった。  

選定理由

都市そのものの形成史が観光客への売り物になることに着目し、行政内部のみならず市民団体を組織してイベント等各種バラエティあふれる取り組みを行い、工業都市が知的博物館都市へと変わる礎を築いた。  

具体的な取り組みの内容

300有余年の別子銅山開坑以来の産業発展史が地域に刻んだ膨大なハード・ソフトの産業遺産活用を市民・行政双方で各種プランを作り、実践行動を行うボランティア団体を設立し、十数年の継続的取り組みで全国に注目されるまちにした仕掛け人が異色の市職員森賀盾雄氏である。
310年前、別子銅山が最初に開坑した標高1,200mの山中は、「住友のインカ」「森になった街」と言われている
310年前、別子銅山が最初に開坑した標高1,200mの山中は、「住友のインカ」「森になった街」と言われている。

市民運動での取り上げ、推進

1986年、新居浜青年会議所から市への要請で森賀氏が新居浜青年会議所に出向し、日本青年会議所のモデルとして新居浜の「まちづくりビジョン」を作成したが、その中で「産業遺産の活用を含むビジョン」を描いた。このビジョンは日本青年会議所の青年経済人東京会議で森賀氏を中心に報告した。

1994年には、森賀氏をインストラクターとして、市民グループで産業遺産の総合的活用戦略を「銅夢物語・新居浜」としてまとめると同時に「銅夢物語・新居浜市民会議」を結成し、イベントや講演会の開催、英国アイアンブリッジから講師を招聘してのフォーラム開催等の取り組みを進めた。

また、市が中心となって設立・運営していた「マイントピア別子」の経営状況が悪化していたことから、市民団体「マイントピアを楽しく育てる会」を設立し、マイントピア大使の設置、イベントやボランティアガイドの育成等による活性化に努めた。さらに、「別子銅山関連産業遺産関西ツアー」(2000年、 2001年)を実施した。これらの施策により、マイントピア別子の経営状況が好転した。

遺構となった「ハコもの」を再生するにあたり、市民運動を活用するという手法。森賀氏の周りに多くの市民が集まるという姿は、まさにカリスマの名にふさわしいと言える。
ビジターに説明するボランティアガイド
ビジターに説明するボランティアガイド
銅の道を当時の服装で辿るウォーキングイベント
銅の道を当時の服装で辿る
ウォーキングイベント

行政等での取り上げ、推進

新居浜市は1990年に森賀氏の企画で、別子銅山開坑300年記念フォーラムを開催した。また、銅工芸や建築物への銅の活用、市民運動の活発化などで 1995年に自治体で初めて「日本銅センター賞」を受賞したが、申請資料は森賀氏が取りまとめた。さらに、愛媛の産業遺産の展示を含む愛媛県総合科学博物館の誘致、国土庁の「MONOまちづくりイベント・銅(あかがね)文化祭典」の開催、三日間で延べ2,300人が参加した「近代化産業遺産全国フォーラム」の開催(2000年)、「銅の道健康ウォーク」の開催(2001年、2002年)などいずれも森賀氏が中心になって行った。
銅工芸が体験できる「マイン工房」
銅工芸が体験できる「マイン工房」
その他、愛媛県の長期計画(2000)や広域文化交流事業での産業遺産や産業観光の取り上げ、愛媛経済同友会の産業観光推進や四国経済団体連合会が中心に推進している「四国歴史文化道」での産業遺産の取り入れなども森賀氏の働きかけによるものである。現在、新居浜市では別子山村との合併も控えて、産業遺産の活用はまちづくりの主要テーマになっている。

自主的な研究会を実践

森賀氏は「惰性の連続線」に陥ることを恐れ、絶えず自主的な研究会を組織して学習と実践活動を行ってきた。「地域問題」「発達心理学」「都市計画」「地域経済」「パソコン」「アメニティ」「インキュベーター」などであり、その結果「異業種連合法人」や「日本のお手玉の会」等の設立、「新居浜市へのCATVの導入」にも重要な役割を果たした。「まちづくり」「地域ビジョンづくり」「地域主権」「共生」「NPO」等をテーマに全国で講演してきた。こうしたことから、彼の周りには常に創造的な何かをやりたがる仲間が集まってくる。彼のこうした実践的な営みが、知の博物館都市づくりに収斂しているともいえる。

なぜ、知の博物館都市なのか

森賀氏は、「産業遺産を活用した知の博物館都市」づくりのきっかけになったのは、1988年に経済企画庁(当時)の星野進保事務次官が新居浜訪問の際に新居浜の航空写真を見て、「地球が痛んでいる。海岸線の工場地帯に緑を増やして生きた工場公園、工場を含むミュージアムにしたらどうか」と言われたことだと振り返る。

また、森賀氏は、博物館といえば「古い過去の遺物を収蔵している役割の済んだ存在」とのイメージが強いが、本来は、現在と未来に向けた生き方を学ぶ場であるはずだ。何も建物を作って、そこに過去の遺産を閉じこめなくても地域にそのまま存在させ、少し今日的に楽しくアレンジして保存・活用すればいい。大地に刻印された産業の遺伝子を知的学習資源として、オープンミュージアムとして活かせばいいではないか。今後は「単なる名所旧跡の観光」から「知識を付加した旅行」「知的満足や私だけのリレーションシップを体験出来る旅行」が求められている。

産業遺産は紛れもない「その時歴史が動いた」本物の観光資源であると語る。市民にとってはアイデンティティの確認にもつながり、個性あるまちづくりの資源ともなり、そのままでも「街角博物館」にもなり得るものである。衰退する古くからの工業地帯の再生として、国民の産業発展ドラマの学習の場として、海外ビジターの日本の産業発展の学習の場として、文化薄き工業都市がまるごと文化都市に変身する。

近代化産業遺産活用の全国の盛り上げ

1996年に、森賀氏の働きかけにより、(財)余暇開発センター(現・自由時間デザイン協会)が独自調査を行い「未知(道)と出会える街・新居浜」と題した報告書をまとめたが、この中で、我が国で初めて「ヘリテージツーリズム」という概念を打ち出した。

その後、自由時間デザイン協会や財団法人日本交通公社などがこの報告書を基に、産業遺産活用の全国的取り組みを行ってきた。森賀氏は、これらの動きに呼応して2000年に「近代化産業遺産全国フォーラム」を開催。このフォーラムは経済産業省の「産業技術の継承」事業と文化庁の「近代化遺産保存・活用」事業を結合し、さらに全国の市民運動の参加を導入し、フォーラム開催を新居浜のボランティアが支えた画期的なものであった。

森賀氏は、1999年「いま地域の記憶を見直そう・産業遺産活用国際フォーラム」(江戸東京博物館)、2000年「大阪国際シンポジウム・新ミュージアムの時代」、文化経済学会<日本>年次大会、2001年「産業観光サミットin愛知・名古屋」、2001年「全国鉱山・炭鉱まちづくりサミット」(赤平市)、「つくばミュージアム都市づくりフォーラム」などでパネリスト等で、行政と市民運動の双方に軸足を置く立場から「産業遺産と地域そのものをオープンミュージアムとする考え方」を主張してきた。

今後の展開方向

既に市の主要施策になっており、学習観光拠点も「住友グループの別子銅山記念館」、「住友化学の歴史資料館」、「住友林業のフォーレストハウス」、「新居浜市の広瀬歴史記念館、別子銅山記念図書館」、「第三セクターのマイントピア別子、端出場・東平施設」「愛媛県の総合科学博物館」「別子山村のゆらぎの森、ふるさと館、筏津山荘」などがあり、パンフレットも各種出されており、ビジターや市民が半日なり、一日、一泊二日なりの見学コースは容易に設定出来るし、ボランティアガイド(英語・中国語も含めて)の対応も一定程度出来るようになっている。

ただし、まち中の昭和初期の社宅群、旧住友鉄道の残存する唯一の駅舎、四阪島の残存施設、明治45年建設の端出場水力発電所などはいずれも住友企業の所有であり、企業と市が協力して保存活用の方策を進めなければならないが、森賀氏は、ボランティアガイドもさらに増加させ、「市民学芸員制度」の確立を思い描いている。
明治45年に建設された水力発電所「端出場水力発電所
明治45年に建設された水力発電所
「端出場水力発電所
また、衰退著しい中心商店街に近接して存在する「口屋新居浜分店跡」は中心市街地活性化対策として、その再生が望まれる。さらに、明治元年に大坂から移転した製錬所跡の「立川中宿跡」と「口屋新居浜分店跡」は専門家の指導の下「市民発掘運動の展開」を森賀氏は提案している。
もう一つ大切な取り組みは、別子銅山と住友企業の歴史はかなり整理されているが、新居浜市の戦前の地域の歴史、庶民の歴史の整理・発掘が欠落している。また、住友の偉人のみを語る傾向があり、技術者や無名の人々の生き様の発掘も急がれる。森賀氏は、現在この取り組みに没頭しているが、その成果の一部は「新居浜モダニズム研究会」を開催し、産業遺産活用推進関係者に講話している。

現在では、例えばマイントピア別子が年間30万人、愛媛県総合科学博物館が年間20万人といった観光客を受け入れるほど、観光地としての新居浜が定着しつつある。森賀氏は、さらなる産業観光の振興を考え、300有余年にわたる産業遺産を核として、環境、地質、大気との関連を含めて「ジオ・ミュージアム都市」を目指したいと語っている。
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森賀氏ご勤務先(原則ご本人が対応)
電話 089-946-9665

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