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小山 邦武(こやま くにたけ)

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最終更新日:2010年4月12日

前飯山市長
信州味噌(株)社長
小山 邦武(こやま くにたけ)

主な経歴

1935年
長野県小諸市生まれ
1959年
北海道大学農学部卒業
1963年
米国イリノイ大学留学
1965年
酪農学園大学講師
1969年
飯山市岡山地区に酪農家として就農
1982年
飯山市農業委員
1985年
飯山市農業委員会長
1990年
飯山市長に当選
2002年
飯山市長を退職、現 北信州森林組合長

カリスマ名称

ありのままの自然を舞台としたグリーン・ツーリズムによる地域づくりのカリスマ  

選定理由

グリーン・ツーリズム客のニーズを取り入れるためにスタッフとして都市部の若者を公募・採用し、180人の市民インストラクター(地元の名人)による 100種類以上の自然・農林業体験プログラムを四季を通じて企画・提供することにより、通年で多くの観光客を集めるとともに、地域の活性化に貢献した。

具体的な取り組みの内容

長野県最北部に位置する飯山市。中央部盆地を南北に千曲川が貫流し、自然豊かな鍋倉山等を左右に擁する市域全体を交流・体験のエリアとし、「標高差 1000mの自然・農林業体験」をテーマとして、グリーン・ツーリズムを展開している。

その拠点施設として、1997年に開設した「なべくら高原・森の家」では、地域の水先案内人となる専属スタッフに、都市部の人材を登用し、彼らが企画し、市民インストラクターが指導を行う体験プログラムは年間100種類以上、スキー客の減少により130万人を切るまでに落ち込んだ入り込み客数は200万人近くまで回復、地域の自然に魅せられた都市の若者が定住する事例も見られ始めている。

こうした、グリーン・ツーリズムの成功の素地には、地元自然への人並みならぬ愛着を持つ小山邦武氏が、市長としてリーダーシップをとった大型リゾート開発の白紙撤回(1990年)、全国の先駆けとなる飯山市グリーン・ツーリズム協議会の結成(1994年)があることは見逃せない。

大規模リゾート開発か、ありのままの自然か?

地域の基幹産業であるキノコ類、アスパラガス等の農業生産が、国内外の厳しい価格競争に巻き込まれていた1988年、この低迷を打破する切り札として、大手企業と第3セクターによる大規模リゾート開発計画が打ち出された。この計画は、地域住民が、かつて伐採に反対し保全したブナ林を開発するものであった。バブル経済の絶頂期である1990年、地域での酪農経営22年の経験を経て、小山氏は市長に就任し、この計画を白紙撤回した。地元が愛する美しいブナ林を守ることと、大規模リゾート経営への不安が、その判断の理由であったと、後日、小山氏は語っている。
鍋倉山のブナ
鍋倉山のブナ

ありのままの「リゾート」、グリーン・ツーリズム

バブル崩壊後、それまでの地元観光の核であったスキー場から客足が遠のき始め、農家の冬場の副業である民宿業経営にも暗い陰を落とし始めていた。この時期、小山氏が着目したのが、1992年度から農林水産省が新たに打ち出したグリーン・ツーリズム振興施策であった。

地元の住民にとっては見慣れた、「ありのままの自然や農村が観光資源となる」というグリーン・ツーリズムの考え方は、当時、地元議会の理解を得ることが難しく、市長自ら反対する人々を連れだし、ブナ林や農村風景のすばらしさを訴えたという。

こうした努力が実り、1994年には、市、JA、観光協会が中心となって、「飯山市グリーン・ツーリズム協議会」が結成され、この組織を通じ日本生協連、首都圏小中学校など都市部団体等と連携した受入事業が展開されてきている。
田んぼは総合学習のステージ
田んぼは総合学習のステージ

地域の水先案内施設「なべくら高原・森の家」の運営

市北部、ブナの巨木の原生林で名高い鍋倉山の麓、標高600mに位置する「なべくら高原・森の家」は、(財)飯山市振興公社の運営する、飯山グリーン・ツーリズムの拠点施設として、1997年にオープンした。体験研修室や宿泊用コテージからなる施設は、それ自体が農山村体験施設としての機能を有しているが、それ以上にユニークなのは、ここが、市域全体をフィールドとする「遊び」や「学び」のメニューの発信拠点となっていることである。
森の家
森の家
小山氏は、「森の家」開設にあたって、支配人に飯山斑尾高原にIターンし、ペンション経営を行っていた木村宏氏を起用した。グリーン・ツーリズムを求める都市住民や地元民宿経営者に見合った「遊び」、「学び」を提供するには、地域の魅力に敏感な「外部の視点」が重要という考え方である。更に、起用された木村氏は、自らのスタッフを都市部発行紙で公募し、200名近い問い合わせ、51名の論文選考、10名の現地滞在面接を経て、5人の20代男女を採用した。また、このときの不採用者からも、2名の飯山への定住者があったといい、応募者側の熱意も高かったことが伺われる。

この「森の家」スタッフが企画・立案する体験プログラムは、「炭焼き」、「そば打ち」、「森林・植物観察」、「寺めぐり」等の技術や知識を有する180名の市民インストラクター(いわば、「地元の名人」)によって支えられている。

こうした体験活動は、「ネイチャースクール「森の学校」」として、四季毎に複数のプログラムに参加できるよう、提案・宣伝されてきており、単に一過性の体験ではなく、飯山をまるごと知ってもらうための複合的な活動となるよう工夫がされている。

農の持つ力の大きさを知って

小山氏は、ある論文で「農業は、生命の営みを、その死を含めて見せてくれる。こうしたことを通して、人間の謙虚さ、自然に対する畏敬の念が生まれてくる。いつの日か、この貴重な体験ができる場を、次代を担う子供たちに提供し、学ぶことができれば」と語っている。農の持つ教育力に対するこの考えは、飯山市グリーン・ツーリズム協議会が、1997年、東京都子ども会連合会と結んだ「都市・農村交流の証」にも生きている。グリーン・ツーリズム振興によって、単に地域経済が活性化するのみならず、都市の子ども達の生きる力の涵養などへも役立っていこうとする取り組みの姿勢である。

こうした発想の原点には、小山氏自身が、飯山の農と自然に魅せられ、外部から新規就農したIターン者であり、その後、酪農家として、30余年を地域とともに過ごしてきた経験があり、「ふるさとをもう一度見つめ直し、今までマイナス面のみを見ていたわが町の、たくさんある宝物を再認識しよう」という小山氏の思想は、森の家、農家民宿等からなる飯山市のグリーン・ツーリズムに着実に受け継がれてきている。
飯山市の菜の花公園
飯山市の菜の花公園
雪に映える千曲川
雪に映える千曲川
このページに関するお問い合わせ

小山氏ご自宅(原則ご本人が対応)
電話 0269-69-2607
FAX 0269-69-2607
E-mail k.koyama@iiyama-catv.ne.jp

関連情報はこちら→飯山市ホームページ
 


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