最終更新日:2010年4月12日
前新潟県高柳町総務課長
主な経歴
1951年
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新潟県高柳町生まれ |
1976年
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高柳町役場勤務 |
1996年
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ふるさと振興課長 |
1999年
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地域振興課長 |
2001年
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総務課長 |
カリスマ名称
選定理由
地域づくり構想の策定の機会を活用し、外部者の視点を取り入れつつ町民を交えた200回以上もの話し合いを主導して「自分たちがまちづくりの主役」との意識改革を促した。これにより、宿・温泉・交流館などについて町民自らの手で運営する意気込みが生まれ、その雰囲気が多くの観光客の感動を呼ぶなど地域の活性化が実現した。
具体的な取り組みの内容
新潟県の南西部に位置する高柳町は、1955年をピークとして急激に過疎化と高齢化が進展したことから(1955年10,718人→1990 年3,143人)、「このままでは町がなくなってしまう。」という地域存続の危機感が表面化し、町民有志が手探りの活動の中から1988年に「ふるさと開発協議会」の担当を担った。
協議会では町民40名からなる委員と8名の助言者(専門家等)の協力により、町のこれからの地域づくりに取り組むため、検討会、懇談会、現地調査、先進地視察など延べ200回を超える活動を行った。

日本の棚田百選認定「花坂の棚田」
これにより、町の新しい産業として、茅葺き屋根農家が残る伝統的な農村の原風景を活用した都市との交流を推進するという新しい交流・観光を「住んでよし、訪れてよし」の「じょんのび(ゆったりのんびりとした、芯から心地がいい)高柳」として提言し、「農村滞在型交流観光構想(じょんのびの里づくり構想)」を策定した。
この構想策定を陰になり日向になり牽引した一人が春日俊雄氏である。
受入体制
これといって特徴のない豪雪・農山村の町で、観光を産業として打ち出すことは大変難しいことではあるが、都市農村交流という視点で、新しい形態の観光産業を創出することに成功した。
経済活性化を目的とするコア施設として、中高年齢層を対象とした、宿泊施設、温泉、農産物直売施設等を備えた複合交流施設「じょんのび村」と、親子連れを対象とした自然体験施設「こども自然王国」を、隣接して整備するとともに、集落の活性化を主眼とするサテライト施設として、荻ノ島集落や門出集落に、茅葺き屋根農家を活用した農家民宿「かやぶきの里」、産地直売施設等を整備するという2段構えのシステムとした。

交流観光コア施設「じょんのび村」

交流観光コア施設
「新潟県立こども自然王国」

荻ノ島環状茅葺き集落

荻ノ島茅葺きの宿
また、コア施設とサテライト施設や各集落を結ぶ散策路について、都市高齢者向けの段差の少ない路面として整備し、公民館を活用して休憩場所の整備等を行うことにより、コア施設とサテライト施設、各集落とを連結させ、このような奥行きのある施設配置により、旅行者にとって魅力ある農山村散策ルートづくりを推進した。
さらに、地元の祭りをインターネットにより情報発信する等地元の祭りに都市住民が参加できる仕組みづくりや、秋の収穫祭、雪祭り等都市住民が参加できるイベントの開催を展開した。
この地域活性化手法の企画・立案に春日氏は中心的に係わり、また、イベント等のプロデューサーの一人として活躍した。

狐の夜まつりイベント

冬季イベント「YOU・悠・遊」
成果
このような取り組みにより、以下のような成果が発現することとなった。
「じょんのび村」整備前の1989年に32,800人だった年間入り込み客数は、整備後の2001年には273,580人と8倍以上になり、農協の特産物販売額(1995年62,440千円→2001年153,470千円)や公的観光施設売上高(1995年486,892千円→2001年537,016千円)も飛躍的に増加しており、都市農村交流を核とした地域づくりが大きく進展するとともに、地元生産者と観光業とが連携した体制を確立した。
また、「じょんのび村」での雇用者数は1995年33名から2002年は42名と増加しており、雇用機会創出の役割も果たしている。
なお、民間調査によれば、「じょんのび村」の経済波及効果は8~9億円と試算されているところでもある。
受入体制スキーム図
交流観光拠点施設:じょんのび村
農家民宿:門出かやぶきの宿、荻ノ島かやぶきの宿
産地直売施設:門出-ふりま、山中-やまびこ、じょんのび村-季菜市
農林漁業体験民宿:じょんのび村(萬歳楽、ファームハウス)、門出かやぶきの里