最終更新日:2010年4月12日
会津そばトピア会議理事うつくしま蕎麦王国協議会会長
主な経歴
1947年
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福島県耶麻郡山都町生まれ |
1967年
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福島県農協講習所 卒業 |
1967年
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山都町農業協同組合 営農指導員 |
1971年
| 手打ちそば店「桐屋」開業 |
1990年
| 福島県商工会連合会エキスパートバンクに登録 |
1991年
| 会津そばトピア会議 事務局長(現 会長) |
1991年
| 富山県利賀村「そばの郷」アドバイザー |
1997年
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福島県マイスターに任命 |
1997年
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全麺協素人そば打ち段位制度認定審査員 |
カリスマ名称
そばによる地域おこしのカリスマ」
卓越したそばづくりの知識・技能・経験を活かし、そばによる地域おこしに奮闘中。(そばの栽培、製粉、そば打ち、そば店経営商品開発、地域づくり)
選定理由
日本初の「全国そばサミット」を企画するなどそばを起爆剤とした地域活性化に市町村の枠を越えたネットワークで取り組むとともに、自らも「会津そば塾」を運営するなど、そばファンの開拓とそばを通じた全国各地のむらおこしに貢献した。
具体的な取り組みの内容
唐橋氏は、1991年に会津地方の幅広い関係者の参加による「会津そばトピア会議」を設立し、「日本一のそばの郷づくり」を合言葉に多彩な活動を展開することによって、会津そばの地域での広がりや全国的なブランド化に大きな役割を果たしてきた。また、そばの栽培面積も飛躍的に拡大するとともに、そばを核とした観光事業や地域間交流事業が積極的に展開されるようになってきた。
そばづくりのエキスパート
山里の農家に育ち、子供のときからそば打ちの手ほどきを受けたが、良質なそばづくりのために、そば打ち技術の研鑚に励むことはもちろん、農協営農指導員の経験を生かし、そば栽培農家への技術指導、さらには、伝統を踏まえたメニューや異業種提携による商品開発にも取り組んできた。こうして作られるそばの絶妙の香りと味は、手打ちそばの頂点と全国のそば通たちの賞賛を集めている。
「会津そばトピア会議」の設立
会津の山間地は古来よりそばの産地ではあり、そば粉の品質や脈々と受け継がれてきたそば打ちの技は一級品であったが、どちらかというとマイナーなイメージであり、地域活性化の切り札とは位置付けられておらず、市町村ごとに新そばまつりが散発的に催される程度であった。
こうした中にあって、唐橋氏は、会津の地域おこしは「そば」ではないかと考えた。「会津は一つ」の精神で行政の垣根を越えて地域の人々が力を合わせれば、全国ブランドにもなり得るし、日本一の主産地にもなり得ると考え、「会津そばトピア会議」の発起人としてその設立に奔走した。
その結果、平成3年10月に、そば屋、製麺業者、そば生産組合、商工会、JA、行政など13市町村63会員が集い、「会津を日本一のそばの郷に」を合言葉に関係者のネットワークを築き、そばの振興やPRに共同して取り組むため、「会津そばトピア会議」が誕生し、唐橋氏は事務局長(現:会長)として、会の活動を牽引してきた。これほどの規模のそばおこし組織は他に例がない。
ネットワークの強化
「会津そばトピア会議」では、当初研修に力を注ぎ、専門講師陣による栽培からそば屋の経営までの広範囲にわたる勉強会(塾)を繰り返し開催した。
その結果、より実践的な学習を通して、将来目標と手法が明確になったばかりでなく、塾を重ね、宿泊を兼ねた交流により、会員の親睦と連帯感、相互交流が深まった。
また、唐橋氏個人も、プロ職人への技術指導はもちろん、古民家を移築復元した支店に「体験館 会津そば塾」を併設し、初心者にも丁寧な指導と段位免許の交付を行うなど、そばのファンのネットワーク化にも力を注いできた。

会津そばトピア塾
全国へのアピール
「会津そばトピア会議」が山都町と共催で、会津のそばを県内はもとより全国にアピールするため、平成6年11月の11日間、「第1回日本新そばまつり」を開催し、全国各地からの参加のもと、様々なイベントを行った。
また、同時期に、全国麺類文化地域間交流推進協議会と共催で、日本初の「全国そばサミット」も行い、全国のそば処の市町村長がそばによる地域おこしを話し合った。この取り組みが全国のそば産地に与えた影響は大きく、その後全国各地で行われるそばまつりやイベントの教科書ともいえる存在になっている。
その後も、「会津そばトピア会議」は、会津そばのブランド化のために、自らイベントを開催するばかりでなく、県内外の様々なそばまつりに積極的に参加し、会津のそばの特性、伝統をPRし交流を深めてきた。
「そば」を産業へ
「会津そばトピア会議」の多様な取り組みによって、会津全域に「そば」への関心が高まりを見せ、そばを核とした観光事業や地域間交流事業が積極的に展開されるようになってきた。
この結果、会津はどこにいっても美味しいそばが食べられると評判になり、そばの郷として「会津」の地名も全国的に定着してきた。特に、「飯豊とそばの里」がオープンした山都町では、ほとんどゼロだった観光客がそばを食べるために訪れるようになり、そばの里だけでも年間10万人以上の利用者がある。
こうした「会津そば」の広がりによって、福島県のそばの栽培面積が青森県、新潟県、長野県を抜いて、北海道に次いで全国第2位となったのも、唐橋氏が現状に満足せず、「会津のそば産業」100億円突破を当面の目標に「そばのユートピア」を目指し奮闘した結果である。

山都町宮古農家そば屋
地域興しのために
唐橋氏は、そばに関する知識・技能・経験に関することであれば、会津の地域にこだわらず、商売そっちのけで取り組んでおり、依頼される先も多方面にわたっている。
福島県からは、地域興しマイスターに任命され、地域づくりに取り組もうとしているグループの支援のために県内を飛び回り、また、福島県商工会連合会の派遣事業で中小規模の店に対し専門技術や技能の指導を行っている。
こうした中、全国的イベント等の活躍で評判が広がり、そばを活かした地域づくりへの講演・参画の依頼が多く、これまで北は北海道幌加内町から南は熊本県波野村まで、20数箇所に出かけている。また、各地からそば打ちの研修生を受け入れたり、良質のそば粉を手に入れて各地に提供したりといったことも行っている。

そば打ち実演(北海道幌加内町)
さらに、全国麺類文化地域間交流推進協議会の麻薬撲滅キャンペーン「ケシ畑をそば畑に」にも協力しており、その他ネパールやラオスに出向き、現地でそば栽培の普及に積極的に取り組んでいる。

ネパールそば交流会場
唐橋氏の、こうした活躍を支えているものは、理想のそばを求めることにより地域が活性化し、日本のそば文化が世界に広がり、平和にも貢献できる21世紀の新たなそば文化の創造を願う熱い情熱である。