最終更新日:2010年7月13日
有馬温泉旅館「陶泉(とうせん) 御所坊(ごしょぼう)」主人
(兵庫県神戸市)
主な経歴
1955年
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兵庫県神戸市北区有馬町に生まれる |
1981年
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(株)御所坊設立社長に就任 |
1997年
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ギャラリーレティーロドウロを開く |
1999年
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ホテル「花小宿(はなこやど)」開業 |
2001年
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農業法人「グリーンパパ」設立 |
2003年
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有馬玩具博物館開館 |
カリスマ名称
「温泉観光を核にしたコミュニティビジネスでまちのブランド力向上と活性化を進めるカリスマ」
選定理由
個人客をターゲットとした個性的な宿づくりに成功したばかりではなく、まちづくり全体を考えた集客の仕掛けづくりに取り組み、有馬の住民が温泉観光をまちづくりとあわせて考えようとする意識改革に大きく貢献した。
具体的な取り組みの内容

人で賑わう有馬温泉街
有馬温泉は、六甲山の北部に位置し、1300年の歴史と伝統を誇る日本最古の温泉である。また、古くから日本三名泉と呼ばれるとともに関西の奥座敷として知られ、多くの観光客で賑わっていた。しかし、阪神淡路大震災や景気の低迷などの影響を受けて、観光入込客数がピーク時の1991年の192万人から、1995年には102万人まで落ち込んだ。こうした状況の中、金井氏の様々な取り組みが功を奏し、金井氏が経営する老舗旅館「御所坊」などでは大きく客室稼働率を伸ばすとともに、2002年の観光客入込数が131万人も回復し、有馬のまちづくりに対しても、良い刺激を与え続けている。
個性的な宿づくり
(1)無駄を活かした老舗旅館の改造
1980年代後半のバブル景気期に団体旅行を中心とした集客力アップを狙い、多くの旅館・ホテルでは大型化・効率的経営が進められていた。金井氏は、そういった時代の流れに逆行するよう、昭和初期の木造建築を残しつつ、
「御所坊」の改造を進めることに固守したのである。
金井氏の始めた改造は、木造を活かす為に、団体客から、個人客にターゲットを絞る事が最初のポイントになった。そのため大広間を無くした。大広間を残していたら個人客に特化出来ないからだ。さらに、客室を30室から20室に減らし、一室の広さとゆとりを確保した。その無駄を活かした空間は、旅館の随所にさりげない、それでいてかなり工夫された仕掛けを作る事ができた。小さな事では領収書の封筒1つなどは、知るかぎりの世界のホテルの中で一番魅力的なものを見本にした。そしてアメニティを始め小物に至るまでこだわりをもって作った。
こうした一連の老舗旅館の改造により、御所坊は大人のくつろぎを求める個人客の心を捉え、多くのリピータが訪れるようになったのである。有馬においては、他の旅館で宿泊客数を減らす中、御所坊では客室を減らしたにも関わらず、客単価の引き上げに成功し、売上を大きく伸ばした。

陶泉 御所坊
(2)日本の多くの温泉旅館の玄関口の役割
日本の温泉を求めてやって来る外国人にとって、国際空港からでは、有馬温泉が近い。例えば香港を朝10時の飛行機に乗り夕方4時にチェックイン出来る温泉地は?箱根や湯河原ではもう少し時間がかかる。そういった意味において、有馬温泉が日本の温泉地の玄関口になる要素を持っていると考えられる。また、外国からの観光客は、「日本の文化に触れたいと考えているので、異人館のある北野に案内しても喜ばないのではないか。」と考える金井氏は、観光都市・神戸の地において、外国人客を案内できる日本情緒あるスポットづくりを目指した。海外からの宿泊者を受け入れる体制として、外国人のスタッフも雇い、料金面でもわかりやすいように努めている。
香港のエージェントと提携したり、ヨーロッパの小さなホテルが集まるグループの「ルレシャトー」に加盟するなど、現在では徐々にではあるが海外からの個人旅行者が増えてきている。また、こうした金井氏の取り組みが国際化の先駆けと評価を受け、バリ島のリゾートホテルから運営指導の話しが来たほどである。
まちづくりを考えた温泉宿の再生
阪神淡路大震災後、有馬でも廃業したり倒産したりする旅館や企業が目立ってきた。そんな頃、太閤秀吉ゆかりの温泉寺の参道沿いにある旅館を借り受けた金井氏は、有馬のまちなみに必要となるものは何かを考え、かつて有馬に存在した外国人専用ホテル風の改装を行い、有馬で一番小さな宿「ホテル花小宿」を開業した。
「ホテル花小宿」はルームサービスを廃止して価格を低くおさえた。これまでの旅館では1泊2食が常識とされてきたが、個人客がもっと利用しやすいようにと、宿泊と食事を自由に組み合わせることができるホテルのような「泊食分離」をいち早く導入した。一方、外国からのお客さまにも対応が可能なように和室の部屋にもベッドを入れるといった戦前の懐かしい和洋折衷スタイルを導入。また、バリアフリー化等、さきがけ的な取り組みを行った。
こうした取り組みの結果、現在は、ほぼ毎日満室で予約が取れないという状況である。これを見た有馬の人々は、古い建物を活かす事が集客に繋がる事を理解し始め、さらには、有馬のまちなみを整える重要性を感じ始めたのである。

ホテル花小宿

町屋造りに改装したお好み焼き屋
まちの賑わいづくりの仕掛け
(1)震災復興イベントの企画
震災復興イベントとして、金井氏らは温泉入浴と昼食をセットにした「ランチクーポン」を企画発売した。
この企画に対して、同業者では、対応できる設備がない、価格が安すぎるなどの理由に尻込みをしていたが、「ランチクーポン」が販売開始されるときには有馬温泉全体の3分の1程度の旅館が参加することになった。
「ランチクーポン」の売れ行きは好調で、お手軽に日帰り温泉を楽しみたいといった多くの観光客が有馬を訪れた。これが定着し、現在有馬温泉全体における収益源になっているだけではなく、こうした動きが全国にも広がった。
これまで、「旅館では、観光客を抱えて、まち中に出さない。だから、まちが寂れる」と言われていたが、逆に、有馬の場合は、昼食客を受け入れた事によって、旅館に宿泊客がチェックインする前に、またはチェックアウトした後に昼食をするため街中に繰り出す事になった。それの結果、商店街の活性化を促し、街中の賑わいに繋がった。
この他に震災復興イベントとして、金井氏ら若手で企画したのが「有馬納涼川座敷」である。有馬温泉を流れる有馬川のほとりに川床風の座敷が用意され、芸妓さんによる踊りなどを披露する、芸者さんのビアガーデンで、夏の情緒を楽しむことがきるというものである。
震災をきっかけとして企画されたイベントは、形は少し変わったが、今もなお続けられており、多くの観光客を楽しませる仕掛けの一つとなっている。

御所坊関連施設で提供されている食材
(2)外湯の整備
もともと有馬の外湯は、温泉会館のみだったが、外湯めぐりや日帰り温泉が人気を集めるようになってきたこともあり、神戸市が2001年に「銀の湯」、2002年には温泉会館を建て替え「金の湯」を開館した。
こういった行政が整備する施設等の企画に対して、有馬では住民が中心となって構成する有馬町活性化委員会が積極的に関わりを持っている。外湯施設内については、飲食スペースをつくらずにできる限り温泉を楽しんでもらえるスペースを広げ、より良い施設づくりを目指したのである。
その結果、年間40万人のペースで外湯の利用者があり、その人達がまちの飲食スペースを利用することになり、地域の経済活性化にも繋がっている。
(3)まちなみを考える仕掛けづくり
金井氏が取り組んだ「ホテル花小宿」などの再生例や、まちを歩かせる為の仕掛け造り等がきっかけとなり、有馬の人々は、次第にまちなみを考えるようになった。
たとえば、有馬温泉でそぞろ歩きを楽しんでもらうことを考え始めた仲間達が集まり、有馬町活性化委員会に「まちなみ部会」が発足することになった。看板の付け方や店舗の色、素材を考えるという動きに合わせ、お好み焼き屋も町屋造りに改装するなど、こういった景観を大切にする考えが有馬のまち全体に広がりつつある。
(4)パーク&ライドの導入
有馬のまちの中では、細い坂道が多く、車社会には十分対応できていない。一方、待望であった外湯が開館し、また、まちに大きな駐車場ができたことにより、車の通行量は増加した。そのため、観光客が温泉街の散策を楽しんでもらうといったことに対し、車への対応が問題となってきた。
その解決の一つとして、有馬温泉旅館協同組合は、2001年12月より、有馬のまちを周遊するワンコインバス「有馬ループバス」の運行を開始した。一方、金井氏は、御所坊関連の宿泊客に対して、パーク&ライドの導入を進めている。有馬まで車で来た宿泊客には、まちを迂回してもらい、まちから少し離れたところに自社で所有するテニスクラブ「サニーサイドアップ」の駐車場にとめてもらい、そこから、ロンドンタクシーが各宿泊施設と駐車場間の送迎を行っている。また、混雑時の送迎には、外周を迂回する事もあり、有馬の良さを見てもらう手段の一つにもなっている。
空き店舗再生事業によるまちの活性化
1999年頃、有馬のまちにも空き店舗が目立つようになってきた。そんな時に有馬のまちを活性化することを目的として、金井氏が中心となり、有馬地区の不動産屋、酒造製造業、土産物屋、食料卸屋等の子息8人が集まり、各自40万円を出資して、合資会社「有馬八助商店」を設立した。
「有馬八助商店」では、空き店舗に天ぷら屋「有馬市」やラーメン屋「有馬ラー麺青龍居」を開業し、同時に地域の雇用も生み出すことにもなった。有馬ループバスは、多くの観光客に利用され好評ではあるが、今のところ運賃収入で、運営費用の75%をなんとか賄えるまで至った。後の25%を補うため、有馬旅館協同組合と協力し、有馬の代表的なお土産品である炭酸煎餅とループバスを掛け合わせた「ループバス炭酸せんべい」を有馬八助商店の企画で販売し、その売上の一部をバス運行経費の負担に充てている。こういった共同で商品を販売、企画し、ループバスを運営するといった継続的な事業を行うことにより、有馬を訪れる観光客の満足度を高めようとする取り組みを有馬全体で行っている。
「モノ」を作る人々が集まるまちに
金井氏は、人には、「モノ」を作り出すことができる人、出来た「モノ」を使う人、また、その両方ができる人がいると考えている。これまでは有馬では見るところが無いと言われたが、有馬の立地条件や自然環境は、無いところからモノを作り出せる「モノづくり人間」が集まる要素が十分にあると考えて、金井氏は「ギャラリー・レティーロ・ドォロ」や「有馬玩具博物館」などを開設した。このような施設をきっかけとして、有馬のまちづくりに貢献できる「モノづくり人間」が集まる仕掛けづくりに取り組んでいる。
(1)ギャラリー・レティーロ・ドォロ
まちを散策する人が増えてきて、何か楽しんでもらえるものを作ろうという思いから、御所坊のすぐ近くにある明治21年築の土蔵の外観をそのまま活かしつつ、民芸調になりがちな土蔵のイメージを一掃する等の改造をして、ギャラリーを開設した。一階では、ギャラリーの運営費を捻出するために金井氏やスタッフが厳選した作家の品々を販売し、二階には展示スペースを設け、月一回程度のペースで作家の方々を招いて有馬温泉を訪れた人に潤いをもたらすような展覧会を開催している。
(2)サンタクロースの楽屋裏ギャラリー「加藤祐三のおもちゃ箱」
有馬に「モノづくり人間」が多く集まるように願った時に一番に賛同して、有馬に住み着いたのが、グリコのおまけで有名な加藤祐三氏である。不運にも一年でこの世を去る事になってしまったが、将来、作家を夢見る玉子達が集まるようになった時、溜まり場になったら良いという金井氏の思いから、有馬で最初の常設展となるギャラリー「加藤祐三のおもちゃ箱」が花小宿の一室に設けられた。このギャラリーでは、生前、加藤氏がデザインしたお菓子のおまけの玩具が展示され、また、作業に使っていた道具がそのまま残されており、夢溢れるアトリエの雰囲気が再現されている。
(3)有馬玩具博物館
からくり人形作家の西田昭夫氏とおもちゃ作家の故・加藤裕三氏とが、からくりの作品展を金井氏のギャラリーで開いたのがきっかけとなり、有馬で玩具の博物館をやろうと三人が意気投合した。5年間に及ぶ構想の末、2003年に、ブリキや木工の玩具、それから1,300点以上のからくり人形などを中心とした動く玩具を展示する博物館を開館した。また、「モノ」づくりの様子が見られるようにとガラス張りのアトリエが用意された。
もともと有馬は、木地師が開き、木工が盛んであった。一方、有馬がある兵庫県は、「日本のからくりのルーツ」とも言われる背景があり、金井氏らが開館した玩具博物館は有馬の文化に深く関わりがある。
博物館の建物は、倒産した旅館を競売で購入し、ホテル「1-MONJI」として営業を行っていた。しかし、建物がコンクリート造りのため、御所坊や花小宿のような情緒ある改造ができないと判断し、ホテルをやめて博物館として上手く利用することを考えた。
今後、この博物館が世界的な評価を受けて、「モノ」づくりの作家達が有馬に集まり、楽しい夢のある街になって行くのではないかと金井氏は考えている。

有馬玩具博物館

ALIMALI(玩具博物館隣接の玩具販売店)
環境保護・リサイクル ~農業法人「グリーン・パパ」設立~
地球の恵みである温泉で事業を行っているということで、金井氏は、環境対策やリサイクルについて積極的に取り組んでいる。
たとえば、金井氏の経営する宿では、コンポストを導入して、食事を提供する上で生じる生ゴミをリサイクルし、良質な肥料を作る。その肥料は、金井氏が兵庫県北部で設立した農業法人「グリーン・パパ」が所有する畑で有効使用されている。さらに、そこで取れた良質な食材を使った料理は、美方町のオーベルジュ「花郷里(はなごうり)」をはじめ、御所坊関連施設で提供されており、食の循環を実現させているのである。
また、宿から排出される天ぷら油からバイオディーゼル燃料を作り、それを燃料としてロンドンタクシーを走らせるといった燃料リサイクルにも取り組んでいる。

オーベルジュ 花郷里
さらなる発展をめざして
金井氏は、現代の宿主として、有馬の景観保全を含めたまち全体のブランド力の向上を目指すとともに、有馬の路地裏計画など新たな仕掛けづくりに取り組んでいる。
参考資料
・大野修「旅館物語オンリーワンの宿を夢見て」柴田書店、2003年
・吉田光夫「カトウくんのおまけ」有限会社ダンク、2003年
・金井啓修「有馬温泉の最近の動向」(温泉学会講演)、2003年9月
・中谷彰宏著「ホテル王になろう2」オータパブリケーションズ、2002年
・「特集いま、この企業が強理由宿泊業界の革命児ため(旅館編)御所坊主人金井啓修氏 日本の旅館はここ有馬から世界へと通じる」、月刊ホテル旅館10月号(2001年)
・日本経済新聞、「金井啓修御所坊社長 個人宿泊客に的絞る」、2003年9月15日朝刊
・朝日タイムズ、有馬温泉御所坊金井啓修「晴れ時々青空[1]~[12]」2002年11月-2003年11月
・吉村克己「自ら楽しむ心が800年の老舗旅館を変えた」(イノベーションすぴりっと第3回)
・後藤大典「InteractiveCafe座談会レポート」
・神戸新聞、「夢あふれる遊びの殿堂 有馬玩具博物館オープン」、2003年7月19日
・御所坊メールマガジン「CALTA DE ARIMA」