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角田 周(かくた しゅう)

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最終更新日:2017年6月19日

津軽地吹雪会代表
角田 周(かくた しゅう)

主な経歴

1953年
青森県北津軽郡金木町生まれ
1976年
青森県北津軽郡金木町生まれ
1981年
金木塾ピアノ教室開設 現在に至る
1987年
企画集団「ラブリー金木」代表
1989年
津軽半島観光キャンペーン実行委員会代表
2002年
津軽半島観光ネットワーク代表

カリスマ名称

「もつけ」と「じょっぱり」の津軽カリスマ
新しいイベントを次々と起こす「もつけ」的精神と、一度始めたら何が何でもやり通す「じょっぱり」的精神を兼ね備えて活動を続けている。

選定理由

冬季の観光資源に乏しい青森県において、厄介者である風雪と寒さを逆手にとった「地吹雪体験ツアー」などの人気を定着させ、雪とほとんど縁のない地域からの観光客を中心に数多くのファンを生み出した。また、夏の津軽の火祭りなど新たなイベントを次々と手がけ、さらに広域観光ネットワークづくりにも取り組んでいる。  

具体的な取り組みの内容

青森県・津軽の冬は厳しく長い。津軽では雪は天から降ってくるものではなく、地鳴りにも似た強烈な西風とともに地面から吹き上げてくる。これが「津軽の地吹雪」である。
その津軽半島のほぼ中央に位置する金木町は、作家太宰治の出身地として知られ、津軽三味線発祥の地でもある。太宰の生家を町が買い取り、太宰治記念館としてオープンした「斜陽館」や、生の三味線演奏や三味線体験が楽しめる「津軽三味線会館」などの観光資源が知られている。

企画集団「ラブリー金木」

角田氏は、地元青年団の自然消滅状態を知り、各地の活性化運動などの刺激を受けながら、三十歳代のメンバー七名で企画集団「ラブリー金木」を昭和62年に結成した。「ラブリー金木」は、町の活性化について模索するボランティア集団で、各種イベントの立案から実行まで活動を展開している。その基本ポリシーは「手弁当」「勝手連」で、それぞれのイベントごとに時間の都合がつく人が自主的に参加する形をとっている。

地吹雪体験ツアーの仕掛人

「何かおもしろいことをやってみよう」と考えた角田氏らは、地元では当たり前の風景であり、はっきり言えば厄介者である地吹雪を、雪を知らない南国のお客さんに見せたらどうかと考え、地吹雪体験ツアーを発案した。

田園地帯で、さえぎる物が何もないこの地域の地吹雪は、いったん吹き出すと、数メートル先はおろか、自分の足元さえ見えなくなるほどで、視界を失い、吹きだまりに突っ込んでいる車をみかけることも少なくない。

ツアーの体験場所には、地元民でも避ける地吹雪のメッカとされる金木町藤枝地区をあえて選び、時期についても、地吹雪が最も強く吹き荒れる1月下旬から2月中旬の毎土曜、日曜日とした。
地吹雪体験は、地元でもあまり見かけなくなった津軽の冬のかつての標準装備であるモンペ、角巻(かくまき)、カンジキを着用してもらうことから始まる。着用後は、白一色の津軽平野の雪原に降り立ち、地吹雪体験のスタートである。ツアー客は、地吹雪の中をひたすら歩く。ただでさえ強い風に、雪が舞い上がり1メートル先すら見えなくなる本物の地吹雪を目の当たりにすると、津軽の冬に恐ろしさすら感じるツアー客もいるという。  
地吹雪体験
地吹雪体験
ただし、ツアーはこれだけで終わるわけではない。地吹雪体験の後は、津軽の冬の楽しみを体験してもらうプログラムへと続く。昔懐かしい馬ソリ体験。そして、すっかり冷えきった体を温めるのは、津軽の冬の郷土料理の代表とも言える「鱈のじゃっぱ汁」である。さらにオプションとして、津軽文化を理解してもらうため、全国の方言の中でも難解さで有名な津軽弁の入門講座まで用意した。
金太郎馬ソリ体験
金太郎馬ソリ体験
そのアプローチのユニークさから、当初よりマスコミの注目度は高く、昭和63年1月29日の記念すべき第一回ツアーは参加者より取材陣の方が多く、都内某テレビ局の車が川に落ちてしまい、みんなで持ち上げるというハプニングもあった。

平成2年の第三回ツアーでは8カ国10社の在日特派員を招待した縁で、翌年の第四回ツアー以降は、ハワイ、台湾を中心に諸外国からのツアーが組まれ、特にハワイからは毎年多くの参加があり、その数はこれまでに千人を上回る。その多くが日系二世で父母、祖父母の育った日本人の生活に思いを寄せ、「日本の冬」、「昔ながらの日本の文化」を満喫し、土産に、ほとんどの参加者がゴム長靴を買って帰国しているという。

雪という北国の人間にとっての「日常」を、旅行のテーマの一つでもある「非日常体験」へと昇華させ、また一過性に終りがちなこの種の企画イベントを今年まで16年連続で開催し続けている。その知名度は既に全国レベルであり、これまでの体験者総数は8,902名に上る。

また、このツアーにはリピーターも多く訪れるが、リピーターの中には、初めて参加するツアー客のかんじきやもんぺの着用を手伝ったり、後かたづけに参加してくれたりする人もおり、かけがえのない交流が生まれるきっかけとなっている。このように、このイベントをボランテイアとして支えようとする県外からのリピーターが尽きないのもツアーの魅力の表れといえる。

ストーブ列車でのサービス

ストーブ列車車内サービス
ストーブ列車車内サービス
好評の地吹雪体験ツアーであるが、もちろん、中には寒さが苦手な人もおり、何よりこのツアーだけでは参加人数に限界がある。そこで発案されたのが、元々の津軽の冬の名物「ストーブ列車」内での地酒とするめ焼きサービスである。
津軽鉄道では、毎年11月から3月まで車内にストーブを設置し、乗客に暖房を提供しており、冬の風物詩として親しまれている。このストーブで暖めた食べ物や飲み物があるといいなという観光客の話にヒントを得た角田氏は、津軽鉄道に協力を求め、サービスの開始にこぎつけた。いかにも津軽といういでたちのもんぺ姿のお婆ちゃんが、決して新しいとは言えない車内で、地酒とストーブの上であぶったするめを提供してくれる。このサービスは平成2年から始められ、現代人が忘れていた心の原風景を思い出させてくれるものとして、全国から多くの観光客がふれあいを求めに冬の津軽にやって来る。この利用者は近年では一冬に7千人を越えている。

サンタ列車、サンタフェスティバル

かなぎサンタフェスティバル
かなぎサンタフェスティバル
角田氏が考案した冬のイベントはこれらにとどまらない。特に、子供向けのイベントとして考えられたのが、「サンタ列車」と「かなぎサンタフェスティバル」である。
子供へのアプローチとしてクリスマスという一大イベントを活用しない手はないと考えた角田氏は、津軽鉄道に協力を求め、全身を真っ赤に塗装する「サンタ列車」を走らせることに成功した。サンタ列車は12月の毎週日曜日に走らせ、列車の中では、サンタが子供たちにお菓子を配る。そして最終日は金木町の公民館で「かなぎサンタフェスティバル」を開催、ゲームをしたりクリスマスソングを合唱したりするなどの内容に仕立て上げた。

このイベントは昭和63年から始められ、今では、金木町の全ての子供の倍ほどの子供が参加するに至り、さらには付き添いの大人も加わって、一大イベントとなった。ちなみに、サンタは、赤いハンチャ(津軽弁で「羽織」のこと)を着用して登場する。

金木夏まつり

金木には、もともと春の芦野公園の桜、夏祭り、秋の紅葉といった観光資源があった。しかしながら、冬の観光資源がゼロだったことから、角田氏は冬の観光資源をいろいろと考え出したのである。これにより、通年で観光客を呼ぶことができるようになった。

しかし、角田氏は、必ずしも冬の観光のみに力を入れているわけではない。角田氏のアイデアは、夏にも向けられた。金木の夏祭りは、どこにでもあるような普通の夏祭りだったので、金木に残っている伝統芸能を活かした祭りができないかと角田氏は考えた。その結果、「津軽の火祭り」と題して、7月末に金木の伝統芸能である「さなぶり荒馬」や「嘉瀬の奴踊り」などを一同に集めて披露する祭を開催させた。
津軽の火祭り
津軽の火祭り
これは、夏の新たな観光資源として集客に成功したが、それだけでなく、地元の人に対しても意外に見る機会が少ない地元の伝統芸能を再認識する機会を提供することができ好評だった。ただ、開催にこぎつけるまでは、それぞれの伝統芸能の保存会などがお互いに牽制し合ったりけんかしたりするなど、苦労が尽きなかったという。

「津軽の火祭り」は今となってはすっかり定着し、平成15年からは、8月のお盆の時期に行われていた通常の夏祭りが「津軽の火祭り」と一体化され、「金木夏まつり」として7月末と8月のお盆の合計3日間、様々なイベントが繰り広げられることとなった。

広域観光ネットワークづくり

角田氏の考案したイベントが功を奏するなどした結果、金木町の観光客入込数は昭和62年の33万人から平成13年には67万人とほぼ倍増した。

マスコミからも多くとりあげられ、年々体験客を増やしてきた地吹雪体験ツアーについては、その好評さゆえ、旅行代理店からは多くの要望が寄せられた。その要望の一つが広域観光ルートづくりである。従来、市町村単独での観光の取り組みが多く、ここ津軽でも例にもれず、それぞれが独自のイベントや観光PRを展開しており、旅行代理店は、旅行商品を造成しにくい状況にあった。また、地吹雪体験ツアーのメニューは多彩であるものの半日程度の体験で終わり、より多くの誘客を促進するためには、広域単位での連携は不可欠であった。

この状況を打破するため、角田氏は近隣市町村に働きかけた。その結果、「津軽半島観光キャンペーン実行委員会」が周辺市町村の協力を得て一市三町三村で組織された。その実行委員長として角田氏は、関東、関西、九州へのキャンペーン展開、旅行代理店への新観光名所の紹介、観光事業者へのセミナーなど積極的な活動を行った。北海道福島町との合同企画「ワールド青函トンネルウォーク」を実施したり、平成5年には岩手県平泉町、玉山村、秋田県小坂町との連携を図る「北東北ネットワーク会議」を設立するなど、北東北、青函レベルでの広域交流に奔走した。

また、青森県の長年の悲願であった新幹線八戸駅延伸を迎えた平成14年には、その効果を津軽地方にも波及させるため、角田氏は津軽の観光事業者を中心として、津軽半島観光ネットワークを組織し、官民をあげた広域観光への取り組みは更に広がりを見せつつある。

「もつけ」と「じょっぱり」

津軽弁で、ノリの良い人や祭り好きなど目立つのが好きな人のことを「もつけ」と言う。元来、口が重く、目立つことをあまり好まない津軽人が、目立つ人間に対して、揶揄して言う言葉である。 また、津軽人は頑固であるともよく言われ、それは津軽弁で「じょっぱり」と表現される。

角田氏は、いわゆる「もつけ」であり、「じょっぱり」でもある。

「新しいことを起こそう」という「もつけ的」精神と「一度始めたら何が何でも」という「じょっぱり的」精神で、津軽半島の観光を引っ張る第一人者として取り組んできた。今後、新幹線など交通体系の整備や価値観の多様化などにより、一層広域観光化が進むものと考えられるが、「今は全国にイベントが溢れ観光客の方がプロ。情報発信や誘客の仕掛けに成功したところが一人勝ちする時代だ、イベントは生き物のように常に変化して継続する。365日どれだけのことができるかが大切だ。」さらに、「民間だから、行政だからの言い訳は通用しない、地域の情熱がなければ「楽しさ」「感動」「情熱」が見る者に伝わらない、楽しくなければ人は集まらない」と新たな展開へと思いを寄せる。
このページに関するお問い合わせ

角田氏連絡先 (原則ご本人が対応)   
電話 080-3195-4036

関連情報はこちら→青森県文化観光情報サイト(アプティネット)


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