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市村 良三(いちむら りょうぞう)

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最終更新日:2010年4月12日

前株式会社ア・ラ小布施代表取締役社長 
前株式会社小布施堂代表取締役副社長
長野県小布施町長

市村 良三(いちむら りょうぞう)

主な経歴

1973年
慶應義塾大学法学部卒業、ソニー株式会社入社
1980年
株式会社小布施堂入社、町並み修景事業をはじめ、様々な町づくり運動を展開
1994年
株式会社 ア・ラ小布施を設立、様々な視点から小布施長の農業、工業、商業、観光の事業化を進める

株式会社小布施堂代表取締役副社長     
桝一市村酒造場代表取締役副社長     
ア・ラ小布施代表取締役社長     
長野家庭裁判所調停員 を歴任  

カリスマ名称

「賑わい町おこしカリスマ」 

選定理由

民間の町づくり会社「ア・ラ小布施」を立ち上げ、住民の町おこし運動の中心的人物として、栗どっこ市や小布施映画祭、国際音楽祭等、様々な企画イベントや事業を成功させるなど、小布施の名を全国的に高めた。  

具体的な取り組みの内容

市村良三氏は、北斎を招いた江戸期の豪農高井鴻山の子孫にあたり、現在は小布施の町づくり活動を企画する株式会社ア・ラ小布施の社長及び、小布施を代表する製菓販売の株式会社小布施堂の副社長を務めている。

町並み修景事業への取組  

市村氏の小布施への取組は、1976年の北斎館、1982年の高井鴻山記念館の建設を契機として町がまちなみ修景事業に取り組んだ1980年代に始まった。小布施堂は元々この地区内の土地を所有し、製造販売の事業を行っていたが、町及び他の地権者と協定を結び、土地の交換等を通じて約16,000㎡の地区全体を小布施の顔として景観整備事業を行った。

市村氏は従兄弟の次夫氏とともに、この修景事業による小布施の「顔」づくりに大きな役割を果たした結果、歴史的建造物はそのまま生かされ、界隈性のある空間を巧みに演出することに成功し、多くの観光客を惹きつけるのみならず、地元住民のまちづくりへの参加意識を大いに高めたのである(1)。  

おもてなしのまちづくり

市村氏のモットーは「住民が楽しく生き生きと暮らしている町にこそ魅力がある」である。実際にこの地区に自宅と職場を持ち、毎日来訪者と接する市村氏は、見られている緊張感がハリになって、よりよく暮らそうという気持ちも湧くと語る(2)。 

この住民自らが楽しく暮らそうという意識が小布施全体に広がっていき、住民自らが自宅の庭を開放し、来訪者との交流を積極的に図ろうという動きにつながっていったのである。この「暮らす人にとって楽しい町」こそが、一度訪れるとと何度でも来たくなる小布施の持つ最大の魅力である。市村氏のいう、おもてなしは、好奇心をもってお客様と向き合う中で、本当に楽しい生き方を模索し、形にしていくこととは、北斎と鴻山の交流に始まる「おもてなし」の伝統であり、現代においても小布施の中で脈々と受け継がれている。  

ア・ラ小布施

ア・ラ小布施は、まちづくりを進めるために市村氏が社長となって1993年に設立した第3セクター方式の株式会社であるが、これは当時の地元商工会などの民間サイドが小布施のまちづくりに対してあまり積極的に関わっていなかった状況下で、市村氏が中心となって有志約30名がまちづくり組織を立ち上げようと会社を立ち上げたのが始まりである(3)。  

ア・ラ小布施は、第3セクター(資本金2600万円、民間出資者52人、従業員10人)ながら、町の出資比率はわずか4%で、あくまで民間主導の町づくりを目指す会社としてスタートしたのであるが、出資者への配当は行わず、町の発展が出資の見返りというユニークなコンセプトを持って事業を進めているが、「ア・ラ」(フランス語の「~流に、~風に」)にはどこの真似でもなく独自に小布施風でやっていこうという意気込みの表れである(4)。 

会社のモットーである「金出し、汗出し、知恵出し、力出し」の草の根精神はこれまで数多くのイベントを成功させ、地元住民と一体となった町おこしの活動を続けている。  

町おこし事業

ア・ラ小布施の行っている事業の大きなもので、地元農林加工品の製造・販売がある。主力製品は、ウッドプランターなどの園芸用品であるが、全国的に事業を展開し、小布施ブランドを発信し続けている(5)。また、町からの委託により「おぶせガイドセンター」を運営し、観光情報の提供を行うなど、小布施の情報センターとしての役割も果たしている。  

近年は「交流」をテーマに積極的に事業を展開している。1994年から毎日曜の朝に開催されている栗どっこ市はア・ラ小布施が事務局として運営を担当しているが、新鮮な野菜や果物が手に入ることから、観光客のみならず地元住民に大変人気があり、毎回多くの人で賑わっている。

この他に交流事業として力を入れているのが、「民泊」事業である。将来的には一般家庭が友人をもてなすような形での交流を進めることを視野に入れているが、その手始めとして、地元企業数十社から出資を募り、97年に「ゲストハウス小布施」をオープンさせた。これは、町中心部にあった土蔵を改造したわずか客室4室のホテルであるが、小布施「民泊」交流の基点となっている。

国際音楽祭

小布施は、2000年8月には第1回小布施国際音楽祭を開催し、ヨーロッパ、中国等海外から奏者を招き、5000人の聴衆を集めた(6)。この一大イベントを支えたのは10人の実行委員と80人以上のボランティアだったが、ア・ラ小布施のメンバーが実行委員として企画・運営に大きな役割を果たした。音楽祭は野外音楽堂コンサートの他、小布施ならではの「街角コンサート」も行われ、住民が身近に音楽に触れて楽しめる企画も用意された。

音楽祭は小布施に新しい魅力を与え、2002年7月には第3回の音楽祭が開催された(7)。  2003年12月には、「北信濃小布施映画祭」を開催。新たに「映画の町」としての位置付けも模索し始めた。

住民参加のまちおこし

このように、市村氏はア・ラ小布施の代表として、多くの企画を立ち上げ、内外から人を惹きつけ、成功を収めてきた。そこにあるのは、地元の住民が一緒に参加して、まず自分たちが交流を楽しむことこそが、いいまちづくりにつながるという一貫した姿勢である。    

参考文献

(1)「地域づくり型観光の実現に向けて」(日本開発銀行北海道支店編 2000.10.26)
(2)「おもてなしの達人」(長野県信用農業協同組合連合会)
(3)「小布施町研究」(千葉大学都市環境システム学科 北原研究室)
(4) ア・ラ小布施ホームページ
(5)「観光地づくりの実践」P236 (1998 日本観光協会)
(6)「北信ローカル」2000 年8月11 日号
(7)「一流の音色 小布施に新風」(「週刊長野」2002年6月29日号)
このページに関するお問い合わせ

小布施町役場 行政経営部門 総務行政グループ 主査 山岸正男様   
電話 026-247-3111   FAX 026-247-3113    

関連情報はこちら→ア・ラ小布施ホームページ

 

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