最終更新日:2010年4月12日
(有)平田観光農園代表取締役会長
主な経歴
1940年
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広島県三次市生まれ |
1962年
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鳥取大学農学部卒業 長野県農業試験場勤務 |
1971年
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広島県果樹試験場勤務 |
1985年
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広島県果樹試験場退職、(有)平田観光農園設立、広島県指導農業士に認定 |
1988年
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広島県観光農業経営者協議会会長に就任 |
2002年
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全国観光農業経営者会議理事に就任 |
カリスマ名称
「四季を通じて多角的な観光農園を展開する農村交流のカリスマ」
選定理由
県職員退職後、農園10haを継承し顧客主体の観光農園を設立、10種類以上の果樹を栽培し四季を通じた周年型の「観光農園」で果物をテーマとした都市農村交流を実践し、園内で採れた新鮮な果実、地元の野菜を用いた特色ある西洋料理店、田舎料理店等を展開するとともに、(株)三次ワイナリーや川西地区果実協同組合の取締役を兼務し、地域と協力した農産物加工品を積極的に販売するなど地域に密着した事業を展開している。

平田観光農園入口
具体的な取り組みの内容
三次市は、広島県の中北部に位置し、広島市中心部からは、自家用車で約1時間半の場所に位置し、中国地方一番の流域面積を持つ江の川と盆地地形の影響で霧が多いことが有名な中山間地域である。
農業は稲作が中心で現在は、コメ、ぶどう、鶏卵が主要農産物となっており、特に三次ピオーネなどのぶどうは特産品として人気を博していると共に、三次市の代表的な特産加工品である三次ワインの原料にもなっている。
昭和59年当時、平田氏の父が経営していたりんご園と隣接する農事組合法人のぶどう園(面積10ha)が高齢化等により経営継続を断念せざるを得ない状態に陥った。
地元から、県の果樹試験場研究者であった平田氏に対してぶどう園の経営を引き継ぐよう強い要請があった。平田氏は、職場では中堅研究員として将来を嘱望されていたが「研究はほかの人でもできるが、三次の農業をよみがえらせるのは私しかいない。」、「もともと自然が好きで農業を始めるなら、農業以外の人にも農業に接する機会を作りたい。」と考え、父が経営していたりんご園と併せてぶどう園の経営を引き継ぎ、昭和60年8月に「有限会社平田観光農園」を設立した。
現在の「観光農園」への入り込み客数は年間約10万人、地域の関連事業である(株)三次ワイナリーへの入り込み客数は年間約40万人以上にのぼり三次市の一大観光拠点となっている。

りんご狩り体験の様子
「観光農園」の取り組み
平田氏は、長野県、広島県において23年間の果樹研究者として培った知識と経験を活かし、周年の誘客体制とするため「観光農園」設立当初、りんごとぶどうのみを栽培していたものを、経営の足場を固めながら順次投資を行い、くり、すもも、もも、おうとう、西洋なしなどを新たに植栽し、少しずつ果実の種類を増やしていった。
最終的に、平成3年に石垣いちごを取り入れることで、冬のもぎ取り体験が可能となり、何れの季節でも「観光農園」が楽しめる周年供給体制を構築した。
「観光農園」内の高級西洋食レストラン「まるめろ」でのゴールデンウィークバイキングやピアノコンサートディナーなどの実施、ダムの水没地にあった江戸時代の庄屋だった民家を移設した日本食レストラン「いろり茶屋やまぼうし」で地域の野菜や「観光農園」で採れた果物の提供や様々なイベントを企画し、果実を中心とした観光農園施設として価値を高め、年間を通じた集客力を向上させるとともに、地域食材の消費拡大につなげている。

西洋食レストラン「まるめろ」

日本食レストラン「いろり茶屋やまぼうし」
(1)研究者としての果樹の栽培・管理
平田氏は、研究者としての経験を生かし、減農薬防除による安全性の高い果実の生産、労働時間の短縮による経費節減に役立てることなどで、多種多様な果実の周年栽培を可能としている。
具体的には、
[1] 果樹の病害虫防除については、ほ場の十分な観察による「発生予察」の考えに基づいた予防を行い農薬散布回数を削減している。(例えば、ぶどうにおけるこの地域の標準的な防除体系では、年間11回の農薬散布を4回に削減。)
[2] 主力品目であるぶどうについては、繁忙期の労働時間を短縮するため、休眠期及び生育初期から不要な新梢や花穂を残さないよう剪定・新梢管理・花穂管理を行なっている。(このことで10aあたりの総労働時間はピオーネで比較すると、県の指標492時間に対して178時間に短縮。)
(2)いままでの主な「観光農園」のイベント等
平田氏は、高い農業技術による品質の良い果実を来園者に提供するほか、「観光農園」内で様々なイベントを開催し、その魅力を高める努力をしている。
[1] ぶどうの山のフェスティバル
「ゆったり味あう・たっぷり味あうひらたの自然」をテーマに毎年実施。
自然の中で、ゆったりした時間を過ごしながら、様々な人と交流し、キャンプ生活を通じて芸術・アウトドア生活・遊びを味わう。
[2] 体験・ふれあい教室の実施
「りんごの木のホルダー作り」、「竹細工」、「リースつくり」、「小動物とのふれあい」や「昆虫さがし」
[3] バーチャルいちご農園オーナー
いちごの鉢のオーナーとなって、インターネットを通じての栽培
パソコンからいちごの成長を観察し、水やり、花摘みなどの作業を指示すると、「観光農園」のスタッフが、オーナーの指示どおり世話をし、収穫期にいちごの鉢をオーナーに届ける。

竹細工「うぐいす笛」づくりの様子

観光農園内のいちご
「観光農園」の経営理念
平田氏は、「観光農園」で40名の社員を雇用しているが、各部門ごとに社員の中から管理責任者を指定し、社員の技術力を向上させ中間管理職としての能力育成を図っている。管理責任者は担当作目の防除及び作業体系、独自の販売マニュアルを作成し、パートタイマー等に対する労務の割り振りに対しても責任を持つ。作成された計画は役員会にかけられ、チェックを受けた後、現場で実行に移される。
また、社員それぞれに具体的な数値目標を持たせ、その達成度に応じて給与を決定する目標管理型の能力主義賃金体制がとられている。年間の目標達成に対して社員が責任を持って取り組むことで、社員の自主性が発揮されるとともに、社員自らの能力の向上と「観光農園」の経営発展に寄与している。
休暇については、目標達成に対し責任を持つことを条件に、いつ取得してもよいこととしており、日数にも制限がない。農閑期の冬には1ヶ月の連続休暇をとり、海外旅行に行く社員もいる。競争原理を生かしながらも余裕のある労働条件をつくっている。
社訓として「忠恕(ちゅうじょ):真心と思いやりの心」を掲げており、顧客満足度優先の農業経営を徹底している。毎朝の朝礼で意識統一を図るなど、徹底した社員教育によってサービスの向上に努めることで、70%以上のリピート率を誇っている。新規の顧客も80%が口コミの来園となっている。
積極的な研修生の受け入れ
平田氏は、海外研修生として中国、インドネシア、ネパール、フランス、アメリカから合計28名、農業大学校から27名、就業を目指す若者の研修として8名、小・中学・高等学校の体験学習、公務員や企業社員研修など年間約3,000人に研修の場を提供している。研修生は、平田氏の自宅もしくは社宅で宿泊し、農作業だけでなく、朝食、夕食を一緒に取るなど、他の研修生と生活を共にすることにより、研修生同士の交流も活発になり、ここで得られた人脈が生きる形を作っている。
地域での取り組み
「観光農園」周辺地域を巻き込んだ活動として平田氏は、平成2年3月、地域の果樹栽培農家と加工組合を組織し、市場流通においては無価値とされる2級品等の果物を加工することにより、付加価値を高め地域特産品として販売に結びつけた。
平成6年には、三次市の観光資源でもある(株)三次ワイナリーの設立に関わり、平成13年3月には、そのワイン専用ほ場の造成、地域に適するワインの専用品種の選抜とその苗木の育成を行った。
現在では、「観光農園」内の販売所のみならず、近隣の「道の駅」や(株)三次ワイナリーなどへジャムやアイスクリームなどの加工品を出荷し、「観光農園」の大切な役割である農業を核とした地域振興を積極的に実践している。
また、資金不足や経験不足、農地の確保などが原因で農業を志す若者の就農へのハードルが高い現状から、こうした意欲の高い若者を一旦「観光農園」に就職させることにより資金や経験を積ませ、周辺地域への移住や就農させることにより、定住が進むなど、中山間地域の活性化にも貢献している。
今後の取り組み
現在、平田氏は地域との連携により、農園を中心とした農業と自然の体験メニューを増やし、とくに農家民泊を中心とした宿泊をともなう誘客形態を試行し、好評を博している。新たな体験メニューには、教育、福祉といった視点を取り入れ、果物を中心としたテーマーパークとして、絶えず進化しながら時代のニーズを捉えた農園づくりをしていきたいと平田氏は考えている。