最終更新日:2010年4月12日
嵯峨野観光鉄道株式会社代表取締役社長(京都府京都市)
主な経歴
1946年6月
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兵庫県生まれ |
1971年3月
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神戸大学(院)工学部機械工学科卒業 |
1971年4月
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日本国有鉄道入社
静岡鉄道管理局沼津機関区長、名古屋鉄道管理局運転部列車課長、中部運輸計画室列車計画課長、JR西日本金沢支社金沢運転所長、事業本部流通課長、鉄道本部運輸部担当課長などを歴任 |
1990年11月
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嵯峨野観光鉄道株式会社代表取締役社長 |
1998年6月
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JR西日本和歌山支社長 |
2000年6月
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嵯峨野観光鉄道株式会社代表取締役社長 |
カリスマ名称
明治時代の鉄道線路を観光に再生したカリスマ
選定理由
歴史的美観が多く残る京都において、常に新鮮さを求める観光客の新しい「期待」に応えるべく、自ら駅業務から線路沿線の雑木整理、植樹という重労働をもこなし、地道な努力とユニークな発想で、「嵯峨野・トロッコ列車」という京都のひとつの魅力を創出し、地域の観光振興にも尽力している。
具体的な取り組みの内容
長谷川氏は、嵯峨野観光鉄道の社長として、嵯峨野から嵐山、保津峡を経て亀岡までの保津峡沿い7.3キロの鉄道の旅を『利用客の心にのこる30分』にすることに努め、開業当初から毎年65万人から90万人の利用客を招いている。
嵯峨野観光鉄道の開業に向けて
嵯峨野観光鉄道は、明治時代から活躍してきた風光明媚な景色の中を通る旧山陰線(廃線)を再生・活用し、1991年(平成3年)4月、日本国内唯一の観光を目的として開業した鉄道であり、国内最大の文化観光都市・京都の西山(嵯峨・嵐山)から亀岡市の馬堀地区までの保津川渓谷を縫って走る7.3kmのミニ鉄道である。
開業の前年の1990年(平成2年)に嵯峨野観光鉄道株式会社は設立され、長谷川氏が初代社長に就任、従業員は社長以下8名であった。設立当時の需要予測は、年間乗車予測16万人、どんなに多く見積もっても23万人、収支の黒字転換は6年後と試算された。資本金は、駅舎の整備や車両などの設備投資に充てると残り資金がほとんどなく、沿線は廃線後3年間放置されたままで、背丈以上の草で荒れ放題、路肩は崩れ、枕木は腐食し、線路は赤錆び、ゴミだらけの雑草で見えないという状態で、列車を走らせるどころか、「3年で潰れる」との世評をうけてのスタートであった。
しかし、生来の根アカを自認する長谷川氏は、持ち前のガッツでトロッコ列車にすべてを賭ける決意をし、資金や人手は足りなかったが、自ら先頭に立ち、開業までの時間もない中、営業企画はもちろんのこと、気の遠くなるような沿線の雑木整理、線路の補修工事等にも全力を投入し、その姿を見て従業員も一丸となって、昼夜を忘れて工事等準備作業に従事した。開業後も長谷川氏は、運転・車掌業務、車両の検修、鉄道施設保全業務、線路の保守をはじめ、駅窓口での切符販売からトイレ掃除、沿線のゴミ拾いなど何でも行った。弁当を食べながらの改札業務など苦労が絶えず、初めてのトイレ掃除では手が震えたと長谷川氏はいう。
大観光都市京都に位置していること、景勝地にあることなどがあいまってということがあるが、長谷川氏をはじめ従業員全員の地道な取組みと運賃を 600円に抑えたことも功を奏し、営業初年度から計画の3倍の69万人もの乗客数、単年度黒字を達成。以後、現在まで黒字経営を続けており、当初駅員無配置の計画であったトロッコ亀岡駅、トロッコ嵐山駅にも駅員を配置し施設の拡充を図っている。
植樹作業
取組みの中でも、植樹作業は特に重労働を極める。
開業前の沿線は、雑草に覆われ、明治時代からの松、桜、もみじなどで覆われる保津峡渓谷とは打って変わり、松、桜は枯れ、常緑樹の樫だけが残っていた。長谷川氏は、なんとか以前のように桜やもみじ、ぶな、カエデなど落葉樹が繁り、小鳥、きつねなど小動物たちも住む活気のある明るい森にしようとの思いから、松の回復と桜、もみじなどの植樹に取り組んだ。しかし、その構想は大変な準備と作業を必要とした。当時は沿線にある保線工事用の高さ5mほどの見張り台すら雑草で見えなくなっている状態であり、それを一歩一歩刈っていくというのは、1日に3~4時間の作業が限界という重労働であった。時には、命綱をつけ長谷川氏自ら斜面の草を刈った。このような地道で困難な作業を続けてようやく延長7.3㎞に植樹ができるようになった。
さらに、木の植樹は後の世話も必要である。今でも年2回雑草を刈り、12月にはせん定、夏場には水をやって害虫駆除を行う。また、野生のシカが幼木の表皮を食べ、木の寿命が短くなるため、目通し40㎝くらいに成長するまでは、すべての木に金網を巻いて守ることに努めている。
重労働で厳しい作業も長谷川氏はじめ従業員は苦痛と思わずに、景勝地を守り、将来はピンクの桜のトンネル、新緑のもみじのトンネル、紅葉したもみじのトンネルをトロッコ列車がくぐり、利用客に感動を与え、喜んでもらいたいとの思いから、また、トロッコだけでなく遊歩道やハイキングコースに訪れる観光客にも喜んでもらおうとの思いで、日々作業を続けている。
長谷川氏は、こうした作業は自然環境保護であるなどと大それたことは思ってはいない。美しい保津峡を多くの人々に楽しんでいただき、1人でも多くの人が「自然は美しい、自然は、大切だ。」と思ってくれることだけを念じている。

植樹作業
地元と自然とトロッコ列車の共生を目指した取組み
トロッコ列車のデザインは古くてなお新鮮なアール・デコのデザインがここ嵯峨野の地にピッタリだとの思いから採用し、色も古都京都にちなんで茶席の毛せんなどに使われる緋色と嵐山をイメージする山吹色を採用した。車両は、最高速度25kmと遅く、風雨も入り、板バネに木製のイスで乗り心地は最低、裸電球で、当然エアコンなどついていない最も貧しい車両である。ところが、長谷川氏は現在の都市生活者は日常的に触れることが少ない自然や緑を強く求めており、この車両は利用客が美しい自然・環境を身体全体で感じ、四季の移り変わりを実感できる最もリッチな車両であると考え、「あえておんぼろにして、お客様に非日常の空間に身をおいてもらおう」、「自然を体感して、大気を思いきり吸い込んでもらおう」とトロッコ列車を走らせている。
列車内でのサービスも忘れない。長谷川氏は「どうしたらお客様に楽しんで帰っていただくか、心に残る30分になるのか」を従業員全員の課題とし、「不器用でもいいからお客様と一生懸命ふれあい、サービスしよう」、「通勤電車ではなく観光列車なんだから、お客様と一緒に大声で笑ってもいいのでは」との思いから、車掌が歌を歌うサービスを導入した。
1994年(平成6年)には、地元結婚式場との共催でトロッコ列車結婚式を行った。かつてないユニークな企画ということで多くのマスコミにとりあげられ、トロッコ列車の認知度の向上に大きく貢献した。
長谷川氏の配慮は駅舎にも及んでいる。「お客様に心のこもったおもてなしを提供する」ために、トロッコ亀岡駅を亀岡の田園風景に似合うログハウス調にし、駅構内には、ベルが童謡を奏でる「ベルツリー」や愉快な信楽焼きのタヌキ(タヌ木)をモニュメントとして設置した。
また、トロッコ嵯峨駅には、直径3mを超すシャンデリアを設置するなど、乗車待ちの利用客に楽しみを与えるとともに、1999年(平成11年)には、トロッコ嵯峨野駅に京都町屋をイメージした手作り商品を販売する店やちょっとした憩いの場であるグリーンスペースを設けた嵯峨野グリーンオアシスを無料で自由に出入りできる施設としてオープンしている。
また、地元天台宗「一隅を照らす運動」総本部の仲介で阪神大震災の被災児童を招待したり、地元の高齢者や障害者を社員として採用したりといった活動も進めている。「嵯峨野観光鉄道は京都の会社だ」と誰もが思ってくれるような地域と共生する企業に育てたいと長谷川氏は言う。社訓は、「共生」。利用客、地元、自然との共生を目指している。

トロッコ列車
「観光・健康・環境」をキーワードに
1991年(平成3年)4月27日に記念すべき第1号トロッコ列車がトロッコ嵯峨駅を出発してから13年が経過したが、開業当初の悲観的な予測を初年度にしてはるかに上回る69万人の実績を残して、現在では年間80万人を超える利用客を迎えるまでになった。
長谷川氏は、5つのポイントがあるとふり返る。[1]「自然を楽しんでいただく」というテーマが明確であったこと、[2]ホスピタリティ(おもてなしの心)がお客様に伝わったこと、[3]良好な交通アクセス、[4]値頃感、[5]継続投資による新鮮さ。これら、テーマパークのもつべき条件を全てクリアーしてきたことが、京都観光の沈滞傾向や景気の波にも負けず、誘客につながったと考えている。
また、長谷川氏は、嵯峨野トロッコ列車の特徴を活かし、利用客が楽しく、ゆっくり自然を満喫し、非日常を味わい、心のリフレッシュをしてもらおうと常に心がけ、1998年(平成10年)には側面と床を格子にして、屋根の3分の2をガラス張りにしたユニークな構造の新車両を導入し、利用客に、より自然との一体感を味わってもらっている。2000年(平成12年)には、窓が上下開閉式とした雨の日も座席が濡れない構造の車両を導入するなど設備改善を図り、 2002年(平成14年)には、開業時からの利用客累計が800万人を達成した。
さらに最近では、NHK大河ドラマ「新選組!」にちなんだおもてなしとして、トロッコ嵯峨駅に新選組ゆかりの史跡パネルを展示し、売店では新選組グッズを販売、車内では運転士、車掌が羽織袴にハチマキを締め、特に2004年(平成16年)3月中の土日は駅長、車掌が「サムライ」に変装、趣向を凝らしたアイデアで利用客を出迎えた。
オンリーワン企業を目指して
2000年(平成12年)からは、利用客参加での記念植樹会を開催するなど沿線の緑化をますます広め、現在では、約4,000本が植樹されている。長谷川氏は、21世紀を人間性豊な時代にするためには、「観光・健康・環境」の3Kがキーワードになると考える。「ナンバーワンでなくてもいいから、オンリーワン企業」に育てたい、この3Kに深く関わる同社の事業を維持、発展させ、社会貢献するために、努力すれば必ず道は開けるとの信念で、日々たゆまぬ努力を続けている。
【参考資料】
「観光地づくりの実践2」(社団法人日本観光協会)
「嵯峨野トロッコ列車の10年」(嵯峨野観光鉄道株式会社)