最終更新日:2010年4月12日
株式会社黒船代表取締役会長
主な経歴
1954年
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岩手県江刺市生まれ |
1980年
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鶴見大学歯学部卒業後 長崎県五島列島玉之浦診療所に勤務 |
1986年
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江刺市にもどる 江刺アヤノ歯科に勤務 |
1987年
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江刺青年会議所に入会 |
1992年
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江刺青年会議所理事長に就任 |
1997年
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(株)黒船を設立 同代表取締役社長に就任 |
2000年
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岩手県景観形成審議会委員に就任 |
カリスマ名称
選定理由
江刺のまちに数多く眠っていた『蔵』に着目し、長浜の黒壁によるまちづくりの先進事例をうまく取り入れながら、『蔵』を守り活かすことによって、寂れていた江刺の中心市街地を活性化させることに貢献した。
具体的な取り組みの内容
江刺市は岩手県中南部に位置する人口3万4千の北上川河畔のまちである。かつて江戸時代には伊達藩の最北端の要地として城代がおかれたまちであり、北上川の水運集積地として栄えた。現在でも当時の隆盛を偲ばせる『蔵』が市街地に130棟程残されている。
序章
進学を機に綾野氏は江刺のまちを出た。江刺から離れた土地で暮らす間、ふるさとのことを訊ねられることもあった。しかしそういった時、まちの知名度が低くこれといった観光名所もなかった江刺を、自身のふるさととして誇らしく説明することができなかった。
この経験は、綾野氏に江刺を見つめ直させるきっかけとなった。こうして綾野氏は、「江刺をふるさととして誇れるまちにしたい。」と考えるようになった。ところが綾野氏が江刺に戻った昭和61年頃、新幹線どころか東北本線の駅もない江刺の中心市街地の商店街は、郊外に出店した大型店に客を奪われ、また若者の市外への流出による後継者不足から廃業に追い込まれる店舗が増加し、その活気を失いつつあった。
大河ドラマ
「炎立つ」のロケ誘致 ~ 「えさし藤原の郷」の建設
綾野氏が江刺に戻ってから5年後の平成3年9月、NHKは平成5年の大河ドラマに高橋克彦氏の原作による奥州藤原氏の興亡を描く「奥州藤原四代」(仮題・後に「炎立つ」)を放送すると発表した。綾野氏をはじめ青年会議所や商工会議所、行政は一体となって、藤原清衡の生誕地である江刺をこのドラマのロケ地にと、ロケ誘致に取り組んだ。
活気を失いつつある江刺の名前を何とかして全国に売り出してまちを活性化したい、そしてふるさととして誇れるまちにしたい、その一心からであった。
斯くしてこの官民一体となった誘致活動は実を結び、江刺は「炎立つ」のメインロケ地として選定されたのである。行政は、青年会議所などの要望も踏まえ、このロケに使うセットを仮設ではなく、ロケ終了後も永久的なテーマパーク施設として使えるものにしようと、数十億円の巨費を投じ、本格的な平安時代の建築物群からなる「えさし藤原の郷」を建設した。

えさし藤原の卿
この「えさし藤原の郷」はテーマパークとして集客に成功し、江刺の全国的な知名度も上がった。しかし「えさし藤原の郷」から中心街は1kmしか離れていないのに、せっかく江刺に呼び込めた年間30万人もの観光客は、中心街を訪れることはなく、中心市街地の活性化にはつながらなかったのである。
このような状況の中「行政に多額の負担をしてもらって藤原の郷は出来上がったが、果たして江刺の活性化に役立ったのか。我々の本当の目的は、中心市街地を活性化させ、江刺をふるさととして誇れるまちにすることだったはずだ。」当時青年会議所のメンバーだった綾野氏は、反省をこめながらそう考えていた。
「黒壁」との出会い
「江刺のまちに数多く眠る『蔵』。この地域の歴史的文化財である『蔵』を活かすことなしに、まちの活性化はあり得ない。」そう考えていた綾野氏は、都市計画事業などによって、古くからある江刺の『蔵』が次々と取り壊されていく状況に危機感を感じながら、価値あるふるさとの建物を次世代に残したいと考えていた。
「えさし藤原の郷」が出来てから約2年後、江刺で「炎立つ」につづき大河ドラマ「秀吉」のロケが行われた。そんなことから秀吉が最初の居城を築いたゆかりの地である滋賀県長浜市に、江刺の「秀吉」ロケ関係者が訪れることがあった。これが綾野氏と「黒壁」との最初の出会いとなる。
当時長浜では、第3セクター方式の(株)黒壁が、長浜黒壁銀行という明治時代の建物を利用したガラス館などの営業を通じて中心市街地を活性化し、長浜を年間100万人もの観光客が訪れるまちにしていた。歴史ある建物の保存と中心市街地の再生を両立させていたのである。綾野氏は、「長浜の(株)黒壁の事例に学び、江刺のまちの歴史的文化財である『蔵』を活かすことができれば、ふるさと江刺の中心市街地はきっと活性化する。」そう思った。
綾野氏は当時長浜の(株)黒壁の社長をしていた笹原司朗氏に、江刺のまちづくりに黒壁のノウハウを活用させてほしいと頼み込んだ。だが笹原氏は頷かなかった。当時笹原氏は、長浜以外の土地では長浜と同じようなまちづくりはできないと考えていたからである。
しかし何とかして江刺を活性化したいと考えていた綾野氏は、決してあきらめることなく、二ヶ月に一度身銭を切って長浜の笹原氏のもとに通い続けた。ついには笹原氏もその情熱を理解し、江刺での(株)黒壁の店舗の出店を約束したのである。
(株)黒船の設立~『蔵』を活かしたまちづくりに向けて
綾野氏は、早速『蔵』を活かした商業振興を提唱した。そして江刺の20代から40代の若手経営者11人が発起人となり、純粋な民間出資会社である(株)黒船が設立されたのである。
(株)黒船設立時のメンバーのほとんどは、以前ロケ誘致に奔走した青年会議所のメンバー達であった。平成9年5月のことである。綾野氏ら(株)黒船のメンバーが、『蔵』を活かしたまちづくりの出発点に選んだ場所は、かつて江刺のバスセンターがあったところだった。綾野氏自身も幼少時代をその付近で過ごし、江刺がかつて地域の中核的な存在だった頃の賑わいをよく覚えていた。バスセンターがあった場所はその江刺のまさに中心部だった。「まちづくりを始めるならここからだ。」と綾野氏らは考えていた。
しかし、『蔵』を活かしたまちづくりの実現はそう容易ではなかった。店舗の用地はどうするか、資金はどうやって工面するか、問題は多かった。特に資金の問題は家族の生活すらおびやかしかねない問題だった。『蔵』によるまちづくりをまちの人々に説明してみても、賛同が得られないこともあった。「民間のまちづくり会社に一体何ができるんだ。」そう言われることもあった。
そんな時、かつてドラマロケの誘致に向けて共に頑張った(株)黒船の仲間達は互いに支えあった。そんな支えがあってこそ、綾野氏も情熱を失うことなく、まちの人々や各種団体への『蔵』によるまちづくりの説明、用地の交渉などを粘り強く続けることができたのである。綾野氏をはじめ(株)黒船のメンバーのこうした努力は実を結び、地域住民や商工会議所との間で『蔵』を活かしたまちづくりに向けた合意が形成され、地域が一体となったまちづくりを進める素地がつくりあげられた。
動き出した『蔵』を活かしたまちづくり
会社設立から約1年後の平成10年4月、市内で解体予定の『蔵』を譲り受けてこれを移転・改修し『蔵』を利用した第1号店として、「黒壁ガラス館 in 江刺」がついにオープンした。このガラス館は、(株)黒船が建設した『蔵』を利用した建物に、(株)黒壁のガラス工房・販売施設がテナントとして入居するという形態でスタートした。
(株)黒壁が店舗運営の道筋をつけるべく、最初の10年程度はこのような形態で店舗運営を行おうということとなったのである。この建物の建設費用の1億円は(株)黒船のメンバーがそれぞれ資金を捻出した。(株)黒船によるまちづくりのまさに第一歩であった。

ガラス館
ガラス館では、ガラス工芸制作の模様を見学・体験できる工房のほか販売施設も併設している。昔ながらたたずまいの『蔵』と新しいガラス工芸が一体となったガラス館は、オープンからなんと一年で、閑古鳥の鳴いていた江刺の中心市街地に12万人を超える観光客を呼び込むことに成功した。

ガラス館・工房作業
その後も木の端材などを利用してつくられた小鳥の置物を販売する「ぴーちく ぱーく」や、市内に眠る古いラジオや蓄音機、オルガンなどの音の鳴るものを集めた「音のミュージアム キンコン館」など、『蔵』を利用した店舗を展開し、これらの店舗は「黒船スクエア」として『蔵』のまちの観光拠点となっている。

蔵を利用した店舗:
(左上)「街の駅 楽庵」、(右上)「菊田一夫記念館」
(左下)「酒屋・柏木本店」、(右下)「箪笥・見楽館」
また、商工会議所や商店街も(株)黒船とともに『蔵』を活用したまちづくりのアイデアを取り入れ、街並みを和風建築にして色彩も統一するなどの『蔵』を活かした街並みの整備を市に提言した。その結果、それまで『蔵』をまちの歴史的財産として意識していなかった市もこれを受け入れ、市街地活性化方針は、それまで取り壊されていた『蔵』を守り活かす方向に転換されることとなった。 このように地域が一体となり、『蔵』を活かしたまちづくりは江刺の大きなひとつの流れとなっていったのである。

オルゴール館の前庭
(株)黒壁の撤退~試された(株)黒船の経営手腕
オープン後、順調に客足を伸ばした「黒壁ガラス館 in 江刺」であったが、その経営を行う(株)黒壁は、本拠地・長浜で経営する店舗の状況が決して楽ではなかったことから、江刺のガラス工房・販売施設の経営から撤退することとなった。ガラス館オープンから3年、平成13年のことであった。
(株)黒壁のノウハウを活かして運営してきたガラス館だっただけに、(株)黒船にとって、また綾野氏にとっても、この撤退は大きな痛手であった。しかし、綾野氏はこれを機会にガラス館の運営を一からやり直すことを決心した。もともと歯科医である綾野氏は、店舗運営については全くの素人であったが、ガラスメーカーからのアドバイスを参考にしたり、スタッフの接客に関する教育を徹底してサービスの向上を図るなど、独自の経営を展開した。その結果、『蔵』を活かしたまちづくりのまさに中心的存在であるガラス館の経営の立て直しに成功したのである。まさに「黒船」が「黒壁」から独り立ちした瞬間であった。
中心市街地における『蔵』効果の波及
このような(株)黒船の『蔵』を利用したまちづくりによって、江刺は『蔵』という「まちの顔」を持つことができた。江刺を訪れる観光客は増え、中心市街地も活気が戻りはじめている。商店街の老舗の豆腐屋、漬物屋などは長らく商店街の停滞から店舗販売を中止し、卸販売のみを行う状態となっていたが、市街地の活性化とともに店舗を蔵風に改築し、店頭販売も再開し好評を得ている。そして何よりも大きな効果は、活気を取り戻しつつある江刺のまちに、次代を担うべき若者達が戻り始めていることである。
おわりに
(株)黒船の社名には、「黒船が日本を鎖国から開国へと導くきっかけとなったように、江刺のまちにインパクトを与えたい。」という願いが込められている。その願い通り、(株)黒船のまちづくりは、まちのなかで眠っていた『蔵』を目覚めさせ、江刺の中心市街地を活性化させるきっかけになった。これからも『蔵』のホテルや『蔵』を改装したビアレストランなどの建設を考えているという。まだ開国したばかりの江刺で綾野氏の目指す「ふるさととして誇れるまちづくり」にむけた挑戦は続く。
参考資料
・BASIC WINTER NO.42 岩手の起業家に聞く 5〔(株)平野組〕
・地域づくり発信レポート 蔵とガラス工芸によるまちづくり〔国土交通省東北地方整備局〕
・まちづくりと連携〔(株)三菱総合研究所 宮本 恭〕
・市街地活性化に向けた原因療法〔日本政策投資銀行東北支店企画調整課〕
・新世紀につなぐこころ〔岩手日日新聞社〕
(株)黒船 事務長 佐々木 亜由美様
電話 0197-35-0051 FAX 0197-35-0081
(毎週火曜日休み)
関連情報はこちら→(株)黒船のホームページ