最終更新日:2011年9月6日
前福井県大野市長(福井県大野市)
主な経歴
1948年
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福井県生まれ |
1976年
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(有)天谷製材 代表取締役 |
1991年
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大野市議会議員 |
1994年
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大野市長 |
カリスマ名称
「『環境保全と人づくり』歴史に学んだまちづくりのカリスマ」
選定理由
城下町の歴史と文化を生かした「まちなか観光」を推進。全国の大野姓の人々によるさまざまな交流や情報の受発信を行う「平成大野屋事業」を展開し、大野市の全国的な知名度アップに取り組んでいる。また、地域住民の自主的なまちづくり活動の契機となる「越前大野平成塾」や「明倫館事業」などの人づくり活動やブナ林の保全施策等の行政版環境保全活動にも取り組んでいる。
具体的な取り組みの内容
まちなか観光と平成大野屋事業
大野市街地の町並みは、約400年前、織田信長の部将、金森長近が京都に模した碁盤の目状の町並みを整備してから、ほぼ変わることなく今に伝えられている。その情緒溢れる町並みをはじめとして、まちなかの歴史・文化資源を生かし、散策による回遊性の高い「まちなか観光」を推進してきた。まちなかが賑やかになることで、中心市街地の活性化を図ろうという意味も含まれている。

大野市全景
1994年(平成6年)7月、市長に当選した天谷氏は、まちなか観光の推進には、まず大野市のイメージアップと情報の全国発信が重要であると考えた。 1995年(平成7年)に「大野市のイメージアップを図るために」をテーマに実施した「市長へのメッセージ」の中に、「市と同じ姓を持つ全国の大野さんに大野へ観光に来てもらい、大野市をPRしてはどうか」という、市民からのアイデアがあった。このアイデアをヒントに、1996年(平成8年)にスタートしたのが「全国の大野氏活用事業」である。
この事業は、全国の大野さんを大野市に招待して、市内の観光名所や特産品、生活文化の紹介をし、市民との交流を通して、大野市への理解とイメージアップを図り、さらにそれぞれの地元でPRしてもらおうという目的で行なわれた。同年、幕末の大野藩を舞台にした長編歴史小説「そろばん武士道」が出版されたことにより、1997年(平成9年)から同PR策は、「平成大野屋事業」へと発展する。
この平成大野屋事業は、「幕末、財政難であえいでいた大野藩は、北海道や大阪など全国37カ所に、藩の特産品を販売するチェーン店「大野屋」を開店。80年はかかるといわれた藩の借金を約20年で返済、藩の窮地を救った。」という史実に習っている。全国の大野さんを現代版の大野直営店「平成大野屋」の支店主とし、大野の情報受発信を行ってもらうのである。
「平成大野屋」本店を市に置き、天谷氏自らが本店主として参画。市民をメンバーとする番頭会が、全国の支店主との交流事業やまちなかの活性化を図るイベントの企画、市の情報発信に係る手法などを話し合い、その運営に取り組んだ。

まつり依嘱式

まつりオープニング
このような同氏のソフト中心の事業展開から、様々な市民活動が活発になると共に、市民が自分たちの恵まれた環境を自覚し、まちの良さを認識するようになっていった。平成大野屋の支店主は、2004年(平成16年)9月現在、1都1道2府38県にまたがり、85人に及んでいる。
平成大野屋事業からの発展

七間朝市
平成大野屋のソフト事業が市民や支店主を主体として進められる中で、さらに市の活性化を図ろうとする機運が高まった。 1999年(平成11年)6月、経済的な面から活動を行なう目的で、市民と行政が協力して第三セクター「(株)平成大野屋」を設立した。
(株)平成大野屋は、地場産品の全国販売や新商品の掘り起こし、地元の食材を使用した郷土料理の提供、出向宣伝による大野と地場産品のPRなどで、地域経済の活性化に貢献している。(株)平成大野屋が設立された約4カ月後、まちなか観光拠点施設「平成大野屋洋館」が整備された。
この洋館は昭和初期に建てられ、織物検査場として使われていた木造瓦葺二階建ての建物で、その歴史的価値から1998年(平成10年)に国の登録文化財に指定されている。その後、同敷地内の蔵をイベントホール「平蔵」として、また、洋館と平蔵の間のスペースを「中庭」として、順次整備を行なっていった。これらの施設は、「まちなか観光拠点」施設として、「まちなか観光」への誘客と市民や観光客が共に利用しながら交流を深めてもらうことを目的としている。
洋館には(株)平成大野屋の事務所が置かれ、また、平成大野屋事業の活動拠点施設として、支店主との交流やイベントの実施などに活用されている。このような取り組みと成果が評価され、2001年(平成13年)には、総務省の「地域づくり総務大臣表彰」を受賞した。

平蔵

洋館
環境保全と人づくり
同氏が市長となった当時、大野市のランドマークともいうべき「越前大野城」が建つ亀山にトンネルを整備するかどうかで、まちを二分する議論が起こっていた。同氏は、トンネルを整備すれば、伝統文化が多く残り「北陸の小京都」と呼ばれている大野市の町並みが崩れ、まちの魅力を失ってしまう。それよりも、「越前大野城」とその城下に広がる碁盤目状の町並み、そして名水百選「御清水」に代表される良好な水環境など、大野の特徴を生かしたまちづくりを進めるべきだと考えた。
そのためには、大野の良好な環境を守り、地域づくり活動のリーダーとなるべき人材を育成することが重要であるとの思いから、「環境保全と人づくり」に視点をおき強いリーダーシップを発揮、積極的に事業に取り組んでいった。具体的には、環境保全では、地下水の利用や涵養に関する調査の実施やゴミの減量モデル地区指定を行った。人づくりにおいては、生涯学習参加単位制の採用やまちづくりリーダー育成のための「越前大野平成塾」開設などに取り組んだ。
また、これらに並行して、市民の声を市政に反映するため、市民提案箱「やまびこ」の設置や市政ホットラインの開設、市民から様々なアイデアを募集する「市長へのメッセージ」などを実施した。

平成塾2
「越前大野平成塾」はさらに「大野明倫館」へと発展していくが、これらの人づくり事業が契機となり、大野独自の観光を考える「越前大野もてなし隊」など、いくつかの市民グループが発足している。「市長へのメッセージ」では多くのアイデアが寄せられ、市民の「自分たちの町を見つめ直そう」という意識を高めるとともに、前段の「平成大野屋事業」など大野市のイメージアップにとなる大きな事業へもつながった。
市長就任時に大きな問題であった亀山周辺の整備と市街地の活性化については、まず、亀山特有の自然と景観、眺望の改善を進めた。そして、亀山の麓に広がる遊休地については、市民も含めたワークショップにより検討を重ね、学校機能と生涯学習機能との融合による施設の有効利用や、周辺の観光資源(名水百選の「御清水」、武家屋敷「旧内山家」、平成大野屋など)との連携と市内への来訪者を優しく迎える仕組みの設置など、基本的な計画をまとめた。現在、その実施に向けて取り組んでいるところである。
まちづくりは人づくりから
同氏は、自ら様々なまちづくりの実践者や有識者との交流を重ねながら自己研鑽を行なっていたが、市長就任以前からまちづくりを進めるためには、地域の中でその核となる人が必要だとの考えを持っていた。そこで、人づくり施策の目玉として 1995年(平成7年)、「越前大野平成塾」を開設した。この塾は、まちづくりのリーダーを目指す受講生が、自主的・主体的な運営を行ないながら、3年間で地域の現状把握や先進的な事例を調査研究し、まちづくりの手法を学んでいこうというものであった。
第1期には、50人の市民が参加した。この「越前大野平成塾」は、第3期まで開設され、内容をさらに発展させた「大野明倫館」へと引き継がれた。「大野明倫館」は、「1884年、大野藩主土井利忠の命により藩校「明倫館」が開設され、藩士の子弟に限らず一般領民の子弟も対象として、幅広い学問が指導された。また、その9年後には蘭学所「洋学館」が開設され、諸藩からも多くの人々が学びに訪れた」という先進的な史実を参考としている。
「環境」「まちづくり」「ツーリズム」の3学科に分け、それぞれの分野に権威ある講師や実践者を招き、市内外からの受講生を対象とする学習の場とした。それぞれの学科には30人を超す受講生が集まり、調査研究や試験的な実践なども行った。これらの成果は、学習発表フォーラムで市民へフィードバックされるとともに、新たな市民活動へとつながっている。

明倫館事業
パネルディスカッション
現在、この「大野明倫館」は、市民と行政が協働で地域の問題を考えるという形式に発展している。2004年(平成16年)から開校の「大野明倫館 (’04~ ’05)」では、大野市の地域づくりの課題を受講生の中で話し合い、テーマを決めて調査研究・実践を行なうことを目的に、行政関係者や市民、高校生、市外から41人が参加し、協働研究に取り組んでいる。
このような人づくり事業を契機として、「越前大野感性はがき展実行委員会」や「平成美濃街道物語実行委員会」、「越前大野もてなし隊」などの新たな市民グループが立ち上がっている。また、まちなかの湧水地を復活させる住民活動など、地域住民の自発的なまちづくり運動が活発となり、地域の活性化に大きな成果をあげている。
「水」をテーマに環境保全
大野市内には名水百選の「御清水」をはじめとする湧水地が点在し、豊富な地下水は、古くから市民の生活用水として利用されてきた。現在でも市街地のほとんどの家庭では、地下水を生活用水として利用している。また、四つの一級河川が市内を南から北に流れ周辺の田畑を潤すなど、大野市はこれまで、独特の水文化を育んできた。しかし近年、生活環境の変化や郊外の開発などにより、地下水の低下が見られるなど不安定な状態が続いている。

御清水
同氏は、市民生活や産業、観光にとっても大きな資源である「水」を大野の誇りとして位置付け、「水」をテーマとした環境保全事業を進める。まず、地下水の安定のためにはどうすべきか基本的な考え方をまとめるため、地下水の採取調査や雨水浸透の能力調査、水質測定など監視体制の強化を実施した。
さらに大野の顔は「水」であるとの認識のもと、水循環を踏まえながら人と自然、都市との共生を図るため、地下水ばかりでなく河川や清水に生息するトゲウオ目トゲウオ科の魚「イトヨ」や下水道なども含めた水との関わりを体系付けた施策を展開していく。1996年(平成8年)には、市の環境保全策の一つとして、真名川の上流に位置する平家平のブナ林を含む196haを取得。水源地の涵養林として、また環境保全のシンボル、市民の里山として、現在、体験学習や自然観察などの事業を実施している。
また、陸封型イトヨの生息地の南限として、国の天然記念物に指定されている大野市の「本願清水」を基に、イトヨの生態研究・調査を行なった。この研究調査が、市民の自主的なイトヨ保護活動につながり、市内の小中学校でもイトヨの保護研究活動が行なわれ、これをきっかけに子どもたち自らが環境の保全について考える大きな機会となった。
このような動きに合わせ、2001年(平成13年)、イトヨの生態や水環境などを学びながら、環境保全意識の啓発につなげることを目的に、「本願清水イトヨの里」が整備された。2004年(平成16年)には、第2回トゲウオ全国サミットが開催されるなど、この施設を拠点に様々な活動が展開され、また環境保全についての情報発信も行なわれている。

明倫館事業 小学生と一緒に行った環境講座

本願清水イトヨの里

秋篠宮様をお迎えした第2回トゲウオサミット1

秋篠宮様をお迎えした第2回トゲウオサミット2

秋篠宮様をお迎えした第2回トゲウオサミット3
快適で活力に満ちた地域づくりを目指して
2003年(平成15年)には、まちなかの賑わい創出やイメージアップを目指した「まちなか遠足誘致事業」を実施した。大野の歴史や様々な史跡、学習施設を有効的に活用することで、小中学校の総合学習の場としても好評を得て、約2600人が大野市を訪れた。遠足で訪れた子どもたちが、家庭で大野のことを話題にすることで、家族で再度訪ねてくれるなどの効果も出てきている。
同氏は、これから大野を担っていく子どもたちに、もっと大野を好きになってもらいたいと考え、子どもたちを対象とした事業を模索中である。 市民との協働を進めながら、大野の恵まれた自然や環境、文化、伝統を生かした、快適で活力に満ちた地域づくりに日々取り組んでいる。

まちなか遠足
【参考資料】
- 大野市ホームページ
- 平成大野屋事業ホームページ
- (株)平成大野屋ホームページ
- 福井みらい創造会議in奥越前報告書:1997年9月開催
- 月刊URALA:1999年1月号№124「大野市長インタビュー」
- 月刊地域づくり:2001年1月号「21世紀の地域づくりを考える」特集
- 月刊地域づくり:2002年4月号「2001年度地域づくり総務大臣表彰」特集
- 地方行政:2001年5月24日(木)発行第9363号「道標」
- 大野市勢要覧大野学:2001年発行「21世紀における大野市の可能性」
- カガリ火96:2003年September「岬龍一郎の人間力講座第3回」
- 広報おおの:1995年4月号「新年度予算特集」
- 広報おおの:2000年1月号「新春対談」 ほか